메뉴 건너뛰기
.. 내서재 .. 알림
소속 기관/학교 인증
인증하면 논문, 학술자료 등을  무료로 열람할 수 있어요.
한국대학교, 누리자동차, 시립도서관 등 나의 기관을 확인해보세요
(국내 대학 90% 이상 구독 중)
로그인 회원가입 고객센터 ENG
주제분류

추천
검색

논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
한국일어일문학회 일어일문학연구 일어일문학연구 제101권 제2호
발행연도
2017.1
수록면
173 - 196 (24page)

이용수

표지
📌
연구주제
📖
연구배경
🔬
연구방법
🏆
연구결과
AI에게 요청하기
추천
검색

초록· 키워드

오류제보하기
本稿は韓日醫學の筆談『兩東唱和後錄』で見つけた朝鮮人醫師金德邦について考察したものである。金德邦は1593年壬亂の際、わが国を侵略した長宗我部の家来將桑名将監に捕らわれ、日本へ渡り四国の土佐に定着した人物である。彼の醫術は初めは大きく效果を發揮できず、非難の的になったが、それが 日本の風土や日本人の性情を考慮しなかったのが原因であることを悟った後、彼の醫術が伝説化されるほど一躍有名になり、たちまち名醫となった。彼の醫術を高く評價した長宗我部が京都に行く時には彼をいつも同行させた。そして彼の名声が京都にも知られるようになった。ところがそれが原因になり、彼を妬んだ日本の醫師らに毒殺された不運な人であった。日本で彼は子孫を残さなかったが、醫術を通して多くの後繼者たち残した。一番目, 雲海- 金德邦- 将監- 玄徳 という学脈を形成する雲海士流の親になり、二番目は粉川家にも醫術を伝えた。三番目は永田徳本にも醫術を伝え、金德邦 - 永田徳本 – 田中知新- 原泰庵の系譜を継承する針灸學派を形成するのに大きく寄与した。そして四番目,『兩東唱和後錄』の著者村上溪南の先祖にも彼の醫術が伝授されたのである。彼は故國では殆んど知られていないが、日本では鍼灸學の形成と發展に大きく寄与した偉大な人物であった。

목차

등록된 정보가 없습니다.

참고문헌 (17)

참고문헌 신청

함께 읽어보면 좋을 논문

논문 유사도에 따라 DBpia 가 추천하는 논문입니다. 함께 보면 좋을 연관 논문을 확인해보세요!

이 논문의 저자 정보

최근 본 자료

전체보기

댓글(0)

0