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자료유형
학술저널
저자정보
沢井啓一 (케이센죠가쿠엔대학)
저널정보
한국양명학회 양명학 陽明學 제26호
발행연도
2010.8
수록면
303 - 320 (18page)

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本?表の意?は、荻生茂博氏の「民」も「官」もともに「進?」の?念に基づく「?民道?」としての「近代陽明?」だとして、「民」を「良い陽明?」、「官」を「?い陽明?」とするような?式的見方には批判的であった「民」と「官」という?式をも疑い、?者が渾然となった?況を想定すべきだという提案をすることにある。というのは、荻生氏はともに1893年に出版された?富蘇峰(1863~1957)の『吉田松陰』と三宅雪嶺(1860~1945)の『王陽明』を取りあげ、?村鑑三だけでなく、より「官」に近い「民」の存在を明らかにしたが、「官」に?しては??通りに井上哲次?だけを分析の?象にしていたからである。
本?表では、?初は井上と三宅の影響下にあったものの、やがてそこを離れて社??へと進み、一時期は東京帝?大?の社??講座に君臨した建部遯吾(1871~1945)に着目して、井上とは異なる「官」における陽明?の?容を見ることにしたい。なぜなら、建部の?女作は1897(明治30)年に出版された『陸象山』であったし、かれの主張する「社??」とは近代化された陽明?そのものであったからである。
建部遯吾の名前は、「漢?」中心の近代日本儒?史のなかではほとんど?れられることがない。また社??の?展史においても、東京帝?大??授としてアカデミズムに君臨したとか、日本主義?家主義を標榜して保守派の代表の一人として活動したなど、評判はあまり芳しくない。建部は、1871(明治4)年に新潟?に生まれ、地元の高等小?校を卒業した後に、代用?員などをしながら勉?に努めた。18?のときに東京に行き、いくつかの私立?校で自然科?やドイツ語を?んだうえで、帝?大?に進?する。1896(明治29)年に文科大?哲?科を卒業したのち、大?院に進んで?山正一(1848~1900)に師事し、?山が大?を?めた1897(明治30)年に社??講座の講師に就任することになる。翌年、社???究のために3年間のドイツ留?――途中、フランスへの??を希望し、許可されている――を命じられ、??後は社??講座??の助?授となり、やがて?授に昇進すると、コントとスペンサ?を基礎とする「綜合社??」の紹介者として近代日本における社??の確立?展に寄?した。途中、政治問題も絡んで文科大?から法科大?に移るという事件があったものの、1922(大正11)年に東京帝?大?を?職するまでアカデミズムにおいて絶?的な?威をもち、その後も時事評論などの言論活動によって、?時の日本社?に?して一定の影響力を保っていた. 
建部にとって社??とは近代化された、すなわち「科?」的に再構成された陽明?に他ならなかった。それとともに、次の点についても注意しておく必要がある。
第一に、??の?究では「官」と「民」との?立という?式で近代日本における陽明?の展開を整理する傾向にあるが、本?表で述べたように三宅雪嶺と井上哲次?との間には一定の連携が認められ、かならずしも?立的な?式では捉えられないということである。確かに明治期における陽明?の?彰では民間の人?が主導的な役割を果たしていたが、そのことがただちに「官」との?立を意味するわけではない。建部にしても、同じ「官」に?する井上とは決別したとしても、陽明?を?彰するグル?プと?立していたわけではなかった。
第二に、建部が井上から離れた理由は、かれが哲?ではなく社??を選?したことが大きく、儒?の近代化をどう?るかということも?わっていたと思われる。結局のところ、井上にしても、儒?を哲?の中に位置づけることには失敗しているからである。井上自身は、儒?を「道?哲?」という哲??系の一部として活用しようと構想していたのだが、「純正哲?」は西洋にしかないという理解では儒?を哲?の領域で近代化することはできなかった。井上が選?したのは、哲?と同?にやはり西洋から新たに移入された?問であった「倫理?」の中に儒?を組み?むことであった。ここには井上ばかりでなく、多くの儒?的?養をもった人?が?加して、日本の?校?育制度の中で「修身」や「漢文」といった?科として定着させることに成功した。

목차

Ⅰ. はじめに
Ⅱ.建部遯吾と陽明?
Ⅲ.社??という名の陽明?
Ⅳ. 結語
〈日文要約〉

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