메뉴 건너뛰기
.. 내서재 .. 알림
소속 기관/학교 인증
인증하면 논문, 학술자료 등을  무료로 열람할 수 있어요.
한국대학교, 누리자동차, 시립도서관 등 나의 기관을 확인해보세요
(국내 대학 90% 이상 구독 중)
로그인 회원가입 고객센터 ENG
주제분류

추천
검색
질문

논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
동아시아일본학회 일본문화연구 일본문화연구 제13집
발행연도
2005.1
수록면
181 - 213 (33page)

이용수

표지
📌
연구주제
📖
연구배경
🔬
연구방법
🏆
연구결과
AI에게 요청하기
추천
검색
질문

초록· 키워드

오류제보하기
高村光太郞は中·日戰爭と世界大戰期間に『大いなる日に』と『記錄』という詩集に戰爭協力の詩を書いた者である。彼は戰爭の時代を日本國民の一人として、また詩人の一人としてどのように戰爭に參與したのか。なお、その參與過程に彼の意識はどのように變化され戰爭を讚揚するようになったのかを詩集『大いなる日に』を中心に考察する。本詩集の37篇の詩は1937年から1942年にかけて作られたのを時間により配列されている一つの敍事物である。だからこの詩篇らの內的秩序を把握してスト一リとしての主題を把握したいと思う。本詩集の最初の詩「秋風辭」に敍述された「尨大な秋」とは絶大の「力」を意味する。本詩集には日日惱みに生きてきた「わたし」という人物が中·日戰爭から世界大戰へまた、シンガポ一ル陷落という5年という期間に動亂に同參していく過程において戰爭は力の移動であると考え、「尨大な秋」のような絶大の「力」を中·日戰爭期には權力を持っていない多數の群衆にあると見, 若い軍人の群れから「美」の意識を感じた。以後,その戰いが世界大戰へ擴大されつつ社會的な力の一種である權力を持っている日本の絶對權の天皇から「力」を見,皇祖に根源の美の意識を救めた。以後、東亞の人を戰爭に動員させながら東邦の美とか倫理に擴大させたが、その絶對の力を持っている美とは、シンガポ一ルが陷落され、日本の國になれ昭南島の天に高くかがやく日輪のような日本が力の軸になれたものべきであった。日本の國體である天皇制を認め、 その延長線であった戰爭が善意の戰いであるという考えを基づいて日本國の中でその絶對の力と美を追求しようとした光太郞の思想は1944年出版された詩集『記錄』にまで繼續された。1945年敗戰とともに現人神としての天皇の不在により,また戰爭同參に對する責任を追窮されと岩手の山小屋で獨居しながら自己省察をした者であったが、光太郞が戰爭の參與という本詩集により表出したのは絶大の力を一つの絶對の美として追求して行こうとした作家光太郞の人生過程の一つであった。

목차

서론

본론

결론

참고문헌

논문초록

참고문헌 (0)

참고문헌 신청

함께 읽어보면 좋을 논문

논문 유사도에 따라 DBpia 가 추천하는 논문입니다. 함께 보면 좋을 연관 논문을 확인해보세요!

이 논문의 저자 정보

최근 본 자료

전체보기

댓글(0)

0

UCI(KEPA) : I410-ECN-0101-2009-913-014483811