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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
대한일어일문학회 일어일문학 일어일문학 제27권
발행연도
2005.8
수록면
243 - 264 (22page)

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高村光太郞の戰後詩は1945年8月敗戰から1955年末までの約100余に及んでいる。高村光太郞の戰後詩は、光太郞の50年の詩業の最後の樣子であり、一方、戰爭詩人に對する自己責任の表れでもあった。詩集『典型』は高村光太郞の戰爭責任に對して,自分を暗愚と規定し,その暗愚の精神史の致命点の摘發をするために意圖的に戰爭詩との關連のない1945年敗戰以降から1950年2月までの詩を集めて1950年10月上梓したのである。
高村光太郞の戰後詩は三つの時期に分けられる。戰後(最)初期は戰時の延長であり、依然として戰爭詩人の立場に立った時期であった。中期は「暗愚小傳」を構想、執筆,完成,發表し、その後,自省と謝罪の詩を發表する時期までである。後期は暗愚の自己の模索のための思索とその結果,自然の懷に歸依した時期である。初期は文化强國を建てて,世界制覇のため,もう一つの戰爭に取り掛かった敗戰直後と、その後,天皇と天皇制に執着した時期に移って行った。この時期,高村光太郞は戰前と同じ戰爭詩人の立場に立って日本民族主義者として天皇制を支えていく柱であった。中期は初期の立場から大きく退いて,戰爭詩人の姿を捨てて,自숙し積極的に解明するために「暗愚小傳」を發表し、續いて自省と陳謝を意を表する時期である。このような變化は戰後民主主義の增大による左翼進步文學陣營からの光太郞を初めとする戰爭責任者の强い處罰要求に依るものである。後期はその基調の上で,暗愚に鞭打ちの意味からいかに生きていくべきかについての思索であり、步いていく道の摸索であった。その結果,高村光太郞の行くべき道は自然へと智惠子の世界への歸依であった。高村光太郞が苦心しながら選んだなは新しい東洋への歸還と日本との再會であった。

목차

要旨

1. 들어가면서

2. 『덴케』(典型)와 고타로의 전후시

3. 전후 초기 : 전시의 연장

4. 전후 중기 : 자숙과 해명, 자성과 사죄

5. 전후 후기 : 사색과 자연으로의 회귀

6. 맺음말

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