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논문 기본 정보

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학술저널
저자정보
저널정보
한국연극학회 한국연극학 한국연극학 제1권 제64호
발행연도
2017.1
수록면
169 - 212 (44page)

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村山知義(一九○一〜七七)は、日本の敗戦を挟む一九四五年の三月から一二月まで、朝鮮演劇文化協会の嘱託として韓国(朝鮮)のソウル(京城)に滞在した。そしてその間、朝鮮映画株式会社の依頼でシナリオ『故郷物語』を書き、撮影にまで漕ぎ着けていた。 にもかかわらず、村山は七月の二九日、突然撮影中止を決心する。それは、なぜだろうか。この論文では、その理由を、神奈川県立近代美術館葉山に保管されている村山の遺品を中心に推察する。 まず、撮影中止の理由について、今までの研究家たちは、村山が韓国語(朝鮮語)の撮影に固執していたことを挙げている。しかし、当時の新聞記事や検閲のガイドラインを検討したかぎりでは、理由はそれだけではなかった。 理由はむしろ、国策の共同耕作・共同炊事を描写するにあたり、銃後の翼賛を掲げてはいるものの、求められた「娯楽本位」の明朗敢闘を描いたのではなく、「芸術本位」の突貫物を書きあげたばかりか、「農民のため」というプロレタリア思想を隠し持っていたところにあった。 結果、反マルクス主義者の岡田順一朝鮮映画配給社常務の反対に遭い、当時保護観察対象者であった村山は、自分に友好的だった田中三郎社長ですら手の打つようがないまま、撮影中止を決心せざるをえなかったのである。よって、村山の転向問題の再検討が望まれる。

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