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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
한국일본언어문화학회 일본언어문화 일본언어문화 제16호
발행연도
2010.1
수록면
517 - 536 (20page)

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儒服とは儒者が衣服のなかに儒教の哲学的な意味を盛り込んで日常的に着用した衣服のことである。深衣と幅巾に代表される儒服は、朝鮮においては既に高麗時代に導入されたと指摘されているが、近世にはいるとより広い範囲に普及されるなかで儒者の儒服にたいする思いは並大抵のものではなかった。日本の場合は、17世紀を前後して藤原惺窩を中心にした初期朱子学派の間で深衣や幅巾などの儒服が彼らの学問的なアイデンティティーをあらわすひとつの象徴として着用されたこともあったが、近世を概観した際、儒服はあまり定着しなかった。一方、林羅山が幕府に登用されると同時に僧の身分として活動することになり、僧名をもらい僧服と剃髮など僧の服装することになったことはよく知られたとおりである。羅山はこのような服装をめぐり内的・外的な葛藤を経験したが、このことは儒教文化圏における儒者の服装である儒服の観点から興味深い様相であると考えられる。本稿では、こうした観点から日本の儒者意識と儒服がいかに関わっているのかを考察することに当たって、儒服の意味を儒者の装いに拡大して羅山の場合を検討したものである。若いころの羅山は深衣を着用した惺窩に出会い、深衣を、仏教に代わる新興知識としての儒教の象徴そのものとみなした。深衣は近世儒学を語る際に欠かせない二人の人物の架け橋となり、やがて羅山も深衣を着用することになったのだが、この時期の様子は後に羅山が幕府と関わってからの羅山の装いをめぐった諸問題をより浮彫りにしている。いよいよ幕府の仕官となり僧の装いをした羅山は「時中之道」という儒家の論理に立って自分を弁護した。つまり、現実的な状況を受け止めてこれに合った行動をとり、現実的な有効性を獲得した後に、世の中をよくするという筋合いである。しかし、世の中では羅山の思うとおりに受け止めてくれなかった。このことは、羅山の立場が公的な地位、すなわち権力と結び付いていたからであった。ここで羅山が使ったのが「太伯後裔説」である。羅山は自分の剃髮を合理化する過程で繰り返し太伯の断髪・文身を採りあげる一方で、日本の始祖が太伯であり、剃髮は太伯が日本に来たその昔からの日本の風俗であると読めるように「太伯後裔説」を施したと推測される。実際に近世末期に日本を訪れた金綺秀の『日東記游』のなかには「太伯後裔説」と剃髮を結び付ける当時の日本人の話が載せてあり、ただの推測の枠を超えるいると判断される。羅山の剃髮にあらわれる儒服と儒者意識の問題は社会参与をしたいが現在権力を持たない初期の儒学が社会の制度圏内へ編入されて定着していく過程を浮彫りにする一端であるといえる。

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