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학술저널
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저널정보
단국대학교 일본연구소 日本學硏究 日本學硏究 제22권
발행연도
2007.1
수록면
465 - 496 (32page)

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本稿では、日本書紀に詳述される新羅の眞平王後期に展開した對倭外交について、眞平王の立場から檢討した。これを通して、眞平王が對倭外交を實行したのは、旣往の硏究でいうような新羅側の消極的態度によるものでなく、眞平王による積極的な對倭政策のあらわれであったことを解明した。 まず、眞平王代の對倭外交の特徵を槪觀した。眞平王は、倭に對して在位後半までほとんど外交活動を展開しなかったが、眞平王32年(610)を契機に大きく変化させた。以後、眞平王はたて續けに倭に使臣を派遣して、積極的な對倭外交を推進した。こうした要因には、眞平王16年(594)からはじまった對隋・唐外交が成功をおさめたことがあげられる。新羅はその關係を通じて高句麗・百濟に對抗できる外交能力を獲得し、これにより新羅の外交意識は一層高揚され、眞平王の積極的な外交政策は對倭外交に並々ならぬ影響を及ぼした。 日本書紀の記錄によれば、眞平王後期に倭に數多くの仏敎文物を送ったことを確認できる。特に眞平王45年(623)には、使臣とともに、仏像をはじめ、仏舍利、幡など多彩な仏具を送っている。またこの時、百濟や高句麗の僧侶たちが集まる飛鳥寺にかわり四天王寺が新たに登場し、新羅が送った仏舍利などの仏敎文物もそこに納入されている。眞平王代の新羅では、仏敎が王權を象徵する存在であったことから、新羅が送った仏像․仏具も同樣に新羅王權をあらわしたとみられる。眞平王は、こうした仏敎文物を倭に送り、新羅の王卽仏思想を倭に伝えることで、倭王を眞平王の仏國土に引き込もうとしたと考えられる。  またこの時、新羅の使臣は在唐倭人留學生を倭に送りとどけている。歸國直後に新たな外交政策を建議した惠日の言動から窺われるように、留學生は倭國內の外交活動において直接的役割を担ったとみられる。ここで惠日が推薦した法とは、百濟や高句麗の法に對峙する性格の仏法であったことから、唐の法でなく新羅の法と推察される。この623年を契機に、眞平王は留學生たちと關係をとり結び、倭に新羅の思想・制度などを伝えようとしたと考えられる。

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