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학술저널
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저널정보
동아시아일본학회 일본문화연구 일본문학연구 제2집
발행연도
2000.5
수록면
155 - 178 (24page)

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俳諧を韓國の學生に敎える際、もっとも難しいことの一つは作品に頻出する野生の草花´の´を想起させることである。韓國の學生たちは時調以來の自然館の影響で、儒敎的な倫理のメタファとしての‘四君子'や‘桃李'あるいは館賞用の植物に慣れており、草花を詠んだ詩歌の美を理解することはなかなか難しい。そこで、本硏究では草花を賞美する日本の詩歌の傳統を探り、초문배자を中心として草花がどのように詠まれており、同時にそ れは芭蕉の自然館とどのように關連しているのかを分析した。草花は一見、府民詩の俳諮において頻出度が高くなったように思われがちである。しかし、草花を愛でる文化は永い歷史を持っており、日本美の源流になっている。すでに、『万葉集』から多樣な草花が登場しその素材縫細な美を愛でる意識が定着しており平安王朝の場合は後宮の庭園に草花を植え、‘もののあはれ ' の感性の源となった。百蕉の場合、こうした日本美の傳統に出?しながらも、‘文イピを越えた草花の存在の意味を語ってくれた人物である。日本の王朝文學における草花のイメジは弱い感性のメタ ファとしての存在意味でしかなかった。ところカえ芭蕉は自然に沒入する長い放浪の末、卑近な路邊の草花こそ‘造化'の神秘を體現する重要な存在價値があるということを實感するようになる。野生の草花は人間の人爲のかない自ずから生滅するあるがままの自然であ る。文化の樣式や理念も結局は人爲の一種である。芭蕉のいう‘造化に歸れ'という言葉の意味は文化や理念を越え、‘物'そのものに入り自然に出る‘情'が‘句になる\すなわち自ずから詩になるようにすべきだという乙とである。
草花は人間中心の欣賞用の自然ではなく、あるがままの自然を回復するという点におい て詩歌の硏究や創作の場において注目すべき論題になると思う。

목차

Ⅰ.서론

Ⅱ.본론

Ⅲ.결론



日本語要旨

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