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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
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저널정보
대한일어일문학회 일어일문학 일어일문학 제22권
발행연도
2004.5
수록면
61 - 79 (19page)

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本稿は現代日本語における文末の「ものだ」 「ことだ」 「のだ」についての相互互換性與否を考察したものである。文末の「ものだ」 「ことだ」 「のだ」が共通的にもつ意味は「說明」 「當爲」「詠嘆(感嘆)」 である。
<當爲のものだ > は大部分の用例が「社會一般的で、個人的な場合は多くない。 <當爲のことだ > は
<當爲のものだㆍのだ」よりずっと多くの用例が見られ、用例の大部分が「個人的であり、主題(主?)が省略された、すなわち百語化されていない形態のもので、社會一般的な場合はたまに見られるだけで ある。
<當爲ののだ > は「社會一般的な場合 > もあるが、たいていにおいて「個人的であり、主題 ( 主? ) が省かれている。」
また、文末の「ものだ」 「ことだ」 「のだ」がお互いに互換できる場合は 「當爲用法」で、「個人的な」意味內容で見られるとき、可能のようであり、こんな場合「當爲ののだ」は「命令」の意味に見ら れるほど近くなると思われる。

목차

要旨

1.머리말

2.「ものだㆍことだㆍのだ」의 意未用法^4)

3.「ものだㆍことだㆍのだ」의 互換適切^5)

4.「ものだㆍことだㆍのだ」의 互換不適切

5.맺음말

參考文獻

用例出典

참고문헌 (0)

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