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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
柳町聡 (慶應義塾大学大学院)
저널정보
동서대학교 일본연구센터 차세대 인문사회연구 차세대 인문사회연구 제19호
발행연도
2023.3
수록면
1 - 18 (18page)

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日本統治下時代に朝鮮から日本に渡り、戦前戦後を通じて日本で事業を起こした在日韓国人企業家たちは、困難な環境の中にあってまずは自らの生存のための事業活動に取り組んだ。そして一定の成功に至ると、次第に母国進出に関心を傾け、早期に母国への投資や事業進出を具体化する企業家が現れるようになる。 1960年代、事業的成功を成した在日韓国人企業家の代表として、阪本栄一(韓国名・徐甲虎[ソ・ガプホ] 1915-1976)と重光武雄(韓国名・辛格浩[シン・キョクホ] 1921-2020)が挙げられる。阪本は、一時日本トップクラスの財界人と肩を並べるほどの財力を誇り、「西日本の紡績王」とも称された人物であった。しかし1970年代には事業上の失敗から、日本での事業から撤廃することとなった。一方重光は、戦後日本でロッテを創業し、1950年代から1960年代を通して総合菓子メーカーとしての地位を築いたのち、韓国でロッテを韓国財界5位の巨大財閥へと成長させ、日韓両国にまたがる巨大経営体を一代で築きあげた。 1960年代という同じ時期に母国進出を遂げた阪本栄一と重光武雄については、このように失敗と成功という評価がしばしばなされる。では彼らの失敗と成功を決定づけた違いはどのように説明できるだろうか。この部分を明らかにしようとするのが本稿の目的である。 両者の違いは、次の3点に要約できる。第一は、日韓国交正常化への視角である。阪本にとって国交の樹立はあくまで政治であって、自らとは直接的には無関係であった。一方、重光は逆の立場で国交正常化を見ていた。彼は国交の樹立をあくまで投資における法的枠組み、また環境整備の重要なステップと捉えていた。第二は、時機を見分ける能力である。阪本の場合、彼が財界トップの地位にとどまった時期は長くはない。戦後日本で大量の紡績機械を入手し母国へ財産搬出したことは、短期的成功をもたらした。しかし長期的な成功につながるような戦略的行動はなかった。他方重光は阪本と異なり、冷静さに加えて、慎重さも備えていた。それは1950年代からの母国投資の失敗が大きかった。このような失敗・挫折の経験は、重光のその後の企業家的特徴を形作る経験となった。重光は新しい事業、投資をする際には他の事業に迷惑を及ぼさない範囲での投資を行うことに定めている。慎重さの大切さを学んでいると言える。第三は、企業経営における信頼のおける右腕の存在である。阪本の場合、事業を行う際にはすべて自分の力量で行っていた。しかし重光は、三顧の礼によって劉彰順のような人物を招き入れ、韓国ロッテの牽引を共に行っている。企業家として、個人の力に頼るのではなく組織による経営の重要性に着目していたからだと考える。ロッテの韓国事業進出において、劉彰順のような人物なしにはその実現は困難であったと考えられる。

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