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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
박상도 (서울여자대학교)
저널정보
한국일어일문학회 일어일문학연구 일어일문학연구 제96권 제2호
발행연도
2016.2
수록면
191 - 208 (18page)

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本稿は内村鑑三の最晩年の死に対する意識を考察したものである。特に内村の発病から死に至るまでのおよそ一年に焦点を当て、自らの死に対していかに意識し、受け入れたかを年代順に考察した。内村の多くの業績の中で後半期から主張した再臨思想をはじめ、彼の核心なる価値は来世観にある。愛する者の死、即ち2人称の死に接したとき、内村は復活信仰という来世観の基盤の上で非凡な思想家としての姿を見せたが、実際、自らの死に対しては如何なる態度を取ったかについて注目し考察したのが本稿の中心である。まず内村は自分の死を真剣に意識した瞬間にも死後の命があるということを確信し、具体的にその死後の世界は義が実現される具体的な実体であることを認知していた。しかし、内村はこういう確信とともに弱い肉体のゆえに病魔と戦わざるを得ない葛藤する姿も見せてくれた。死がもたらす恐れのゆえに苦しみ、何より魂の孤独を味わわざるを得ない姿も確認した。ところが彼が死を迎える最後の瞬間に見せた態度は2人称の死を体験するとき見せたそれと変らないものであることも分った。信仰の上で来世に対する希望を抱き、日本と人類と宇宙の完成を祈りながら万歳を唱えてから息を引き取った。こういう内村の姿は生涯を実験的に生きてきて信仰の確信を失わなかった偉大なる思想家が人生の最難題に直面しても実践的な行為で平素の自分の思想を貫いたという側面で大きな意義のあるものと思われる。

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