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자료유형
학술저널
저자정보
박상도 (서울여자대학교)
저널정보
한국일어일문학회 일어일문학연구 일어일문학연구 제91권 제2호
발행연도
2014.11
수록면
153 - 174 (22page)
DOI
10.17003/jllak.2014.91.2.153

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本稿では、内村鑑三の晩年の核心思想である再臨思想研究の前段階として、内村鑑三の死に関する認識について考察した。特に内村鑑三の生涯に於て一番愛していた二人の女性、妻のかず子と娘のルツの死に関する内村の認識を中心に分析した。かず子の死は内村に耐えがたい苦痛を与えたものの、結局は彼女の喪失を通して日本という<国>と<国民>に気づき、彼にとって万有は回復するに至る。『基督信徒のなぐさめ』中、「愛するものの失せし時」にはこのような彼の内面的価値がよく表れている。そしてルツの死は、内村にして具体的に死に対する認識構造を露呈させた。ルツの死はかず子の死と同様に彼に大きな苦痛を与えた事件であったことは間違いない。しかし、内村はこの苦痛の中で死に対する認識を深化させた。まず、彼はルツの最後の瞬間を見守りながらルツの死が、単によい世界へ行ったことであることに気づく。再会の可能なところにルツが先に行っていることに気づく。ルツの平安の中での安息は、天国が実在するところであることを実証する事件であったのである。こういうわけで彼はルツの死を祝すべきものであると言った。それはルツの肉体から罪が除かれた状態で死を迎えたからである。ルツの死は結局、救いの完成へと入る事件であるため祝すべきものであると彼は認識していた。このようにルツの死は一時的に恐怖と苦痛を与えたが、彼はこの事件を通して、浄化され、単純な信仰を持つようになった。何になろうということ、何かをなそうということ、すなわち野心を捨てるようになったのである。このような彼の死に対する認識はルツの死後、もっと深化した。そして死へのこのような認識は晩年の思想の核心である再臨思想の根源をなすものであると言うことができる。

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