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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
鄭孝雲 (동의대학교)
저널정보
대한일어일문학회 일어일문학 日語日文學 第53輯
발행연도
2012.2
수록면
417 - 435 (19page)

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本稿では韓國史と日本史の遭遇という主題について、古代韓日關係史の硏究の流れとその問題點という觀點から考察してみた。歷史學分野における韓國と日本との遭遇は、日本に西洋の歷史學が傳わってからであるといえる。朝鮮古代史の硏究が古代韓日關係史から始まった理由は、基本史料である『日本書紀』の內容が古代韓國の關連記事で作られているからである。問題は、硏究の出發において帝國主義という時代的狀況があり、‘滿鐵’からの資金提供を受けた政治的目的による硏究であったことである。これらの‘滿鮮史硏究’の傳統を引き續き受け入れて形成された古代韓日關係史は、三つの軸で構成されてきたといえる。すなわち、‘任那日本府’と‘任那の調’、‘白村江の戰い’がそれである。このような歷史的事件の解釋は日本の學界の天皇中心史觀と萬世一系史觀、島國一國史觀によって裁斷され、作られてきたと思われる。
その結果、三世紀から七世紀までに及ぶ古代日本の古代韓國諸國の支配という歷史像を誕生させた。しかし、一九七○年代以降の硏究成果を土台にして再檢討して見ると、これらの事件は一つの連續性を持つものではなく、それぞれの時代的狀況や情勢と深い關連がある事件であるらしいことがわかる。
そうであるとすれば、なぜ、古代韓日關係史像がこのように倭王權中心の連綿史觀として構築、理解されてきたかという點が問題になるだろう。一つ目は、本文で檢討したように近代の歷史硏究者が民族と國家から自由ではなかったところに原因があると思う。二つ目は、古代韓日關係史の基礎史料である『日本書紀』が自國の歷史ではなく、古代韓國諸國の歷史で構成されている特殊性も要因になったと言える。三つ目は、日本人の硏究者によって構築されているこのような古代韓日關係史がいまだに韓國の古代硏究の分野に影響を及ぼしているだけではなく、韓國硏究者が關心をもたざるをえない理由は、百濟と加耶史を復元するのにあたって『日本書紀』に大きな部分を賴らざるえないからであろう。

목차

〈要旨〉
1. 들어가기
2. 근대일본과 역사학의 만남
3. 고대한일관계사의 전개와 문제점
4. 나오기
참고문헌

참고문헌 (3)

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