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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
김계자 (경원대학교)
저널정보
동아시아일본학회 일본문화연구 日本文化硏究 第38輯
발행연도
2011.4
수록면
59 - 77 (19page)

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1930年代の朝鮮には日本語が「?語」として?要され、朝鮮の文?者は日本語による文?活動を余儀なくされた。だが、彼らは決して時代の影響下で受動的な?態にとどまるのではなく、かえって日本の文壇に打って出るような積極的な活動ぶりを見せている。こうした朝鮮文?者によるいわゆる「日本語文?」は、無論、帝?のメディア政策と連動しているという「官製」の性格を?びているものの、帝?と植民地のいずれの側にも?斂しない「差異」としての空間を作り上げる。この「差異」にこそ、帝?と植民地という近代?民?家の「境界」の?念を越える認識が得られる。
こうした役割を果たしていた?誌がまさに『文芸首都』だと言えよう。『文芸首都』は日本人による文?作品の他にも、朝鮮、台?、?洲などからの投稿をも受け付けていた。編集者の保高??の配慮のもとで、張赫宙、金史良など朝鮮の文?者は日本の文壇に向けて?を?していく。朝鮮文?者同志のみならず、?誌を介して朝鮮と台?の文?者が交流を深めていくケ?スもあった。つまり、『文芸首都』は帝?と植民地との間で、そして、植民地間でネットワ?クを作り上げる機能を果たしていたのである。
ところが、金史良『光の中に』(『文芸首都』1939.10)が芥川賞候補になったときの審査評を見ると、朝鮮文?者による日本語文?に注がれる日本人の?心というのは、地方色としての朝鮮の「新しさ」であり、これは作者である朝鮮文?者の求めているところとは隔たりがあることに?づく。彼らの文?空間は個別の?民文?の境界を越えた認識の布置を今日のわれわれに要求している。

목차

서론
제1장 1930년대 조선 문학자의 일본어 글쓰기
제2장 잡지『문예수도』와 편집자 야스타카 도쿠조
제3장 식민지 조선의 문학자와 잡지『문예수도』
제4장 제국과 식민지의 ‘차이’ 혹은 ‘경계’
결론
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