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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
대한일어일문학회 일어일문학 일어일문학 제16권
발행연도
2001.11
수록면
185 - 210 (26page)

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光太郞において戰爭詩と天皇問題への浸入はつまり古い日本的抒情の世界への回?であって,殆んどの詩人たちの步んで來たように,これは結局,日本近代詩史における一つの大きな敗北であった。
光太郞の詩において本格的に天皇問題をん取りあつかったのは,中日戰爭後のことで,1939年6月あたりからで,戰爭詩を書き始めた時点より約二年間のずれがあって,1947年7月『暗愚小傳』の發表まで引き續けられた。光太郞が彼の詩において天皇問題を書き始めたのは,そむくべき父と,依るべき智惠子をも失い,幼少年の時の家の雲霧(天皇神格化)がよみがえり,祖先がえりしたと言える。これは光太郞の批判精神のもろさをさらけだす兆しであり,彼の社會思想が非體系的であると言える。
太平洋戰爭以前(1939.6.1941.10)の天皇(制)問題を書いた詩篇は,數もわずかであり,天皇=みおや(御親,親)が主流を成していて,その天皇もあくまで人間天皇にとどまった。神の表現もわずかに出たが,それは古事記に出てくる神の名前であり,また明治天皇等,具體的的な天皇の名前もあった。
太平洋戰爭以後(1941.12.8-45.8.15)は天皇と國家の聖化であり,天皇への想いに依るものであった。この時期の天皇は人間天皇でなくて,現人神(あらひとがみ,明津御神,大御神,神明,皇大神等)思想であり,現人神が治する日本は神國(皇國,神州,神苑,皇祖國等)であった。現人神思想と神國思想は國內では日本人をあまりにも天皇に依らせたのであり,對外的には米英の主敵に二分法的な對決の意識に驅り立てて、神と神國の優越感を表わしたのである。
戰後期(1945.8-47.7)の初期は戰前の連續であり,光太郞の焦眉の關心は天皇の安危と天皇制の護持であった。天皇制の護持と天皇の戰犯責任という二つの問題が解け、光太郞自身に戰爭責任が迫ってくると,光太郞自ら戰前の過誤に對しての『暗愚小傳』を發表し,天皇から?却していった。だが、眞に天皇問題から?却したのは,その後の聖なる者のリビドが落ちて,自分の詩のため數多くの人人が死に就けたことを自覺してからのことである。

목차

Ⅰ. 들어가면서

Ⅱ. 유 소년기

Ⅲ. 청년기

Ⅳ. 장년기 1 -태평양전쟁 이전

Ⅴ. 장년기 2 -태평양전쟁 이후

Ⅵ. 전후기

Ⅶ. 맺는 말

<參考文獻>

<要 旨>

참고문헌 (0)

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