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학위논문
저자정보

한세희 (한국외국어대학교, 한국외국어대학교 대학원)

지도교수
서재곤
발행연도
2023
저작권
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이 논문의 연구 히스토리 (4)

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田村隆一は日本の戦後詩壇を代表する詩人で、特に1950年代末までは戦後詩人として活発に活動した。
戦前から始まった『荒地』と『荒地詩集』のグループ活動が終わる1958年以後からは、詩人が世を去る1998年まで、一人の詩人として着実に活動した。しかし、戦後詩人としてその出発を知らせただけに、氏の詩世界に関する研究は1956年に出版された初詩集『四千の日と夜』に集中しており、後期の活動に関してまではまだ活発な研究がなされていない。本稿では氏の詩人としての人生を眺めることを目的として、各詩集に見られる氏の生に対する態度に集中して考察をした。
まず、第1章では、戦後詩壇の動きを探った。戦後詩から現代詩に移って行く過程を見ることは、氏の詩世界の流れを理解するのにふさわしい土壌になると考えたからである。続いて、氏の創作活動がいつ頃から始まったかに関しては二つに分けて、まず戦後の始点とも呼ばれる『若い荒地』時期の活動の意味について調査を行った。その結果、同じ理念を共有した詩人たちには「時代の囚人」という認識があったものの、その共通理念は西欧の影響を受けたものであったため、時代と完璧に共進するには限界があったことがわかった。一方、「戦争体験」の意味について調べた結果、田村は軍に入隊する前から間接的に西欧の戦後詩と思想に接しており、これを自分の中の詩的滋養分として内在化していたことも分かった。
また、敗戦後の初詩集である『四千の日と夜』に見られる生の態度を究明した。特に「四千日」という時間が詩人にとって如何なる意味を持っていたのかについて「四千の日と夜」を分析して考察をした。これは単純に「断絶と空白」という途切れた時間ではなく、荒地に変わってしまった社会から脱出するために推進力を得る時間であったと考えられる。さらに、「腐刻画」「沈める寺」「予感」などにおける自分以外の「他者」の存在の意味についても考察を行い、田村は意図的に連と連を配置し、「他者」という存在の「目」と独白を活用していたことも明らかにした。「他者」という一種の非人称性を使った理由も、ある意味では「死を普遍的」に受け入れようとした氏の意図的な詩的表現だったと言えよう。
そして、田村の詩で重要なキーワードである、詩語「叫び」と「沈黙」の関係を明らかにするため、「幻を見る人 四篇」「Nu」「一九四〇年代・夏」を分析した。そこでは<叫び=沈黙>であり、生の循環構造を暗示していることが、さらには、「秋」「十月の詩」「イメージ」「再会」「立館」などに見られる「雨」とは、その流動性を借りて現実から脱出しようとした氏の姿の表れであったことも分かった。
以上のことから、詩集『四千の日と夜』に見られるのは荒地である現実から自己を守ろうとする氏の姿と克服意志で、これは敗戦直後の日本社会に対する自己防衛的な生き方であったと言えよう。
第2章では、1962年に刊行した詩集『言葉のない世界』に見られる田村の生の態度を明らかにした。初詩集と比べると、詩に流れている主なイメージは似ているものの、生活の居場所が変わっただけに人生の態度にも変化の兆しが見られる。そこで群馬県を「架空の故郷」として設定し、詩人が感じた喪失感が詩と氏の人生の態度に如何なる影響を与えたのかに焦点をあてた。その出発点として初詩集の「にぶい心」の分析を行った。その結果、詩人が抱いていた故郷への喪失感は、戦争による喪失というよりは、急速に発展した都市文明によって消えた旧故郷の姿に対するノスタルジアの方により大きく影響されていたことが確認できた。ここで、このような心象が特に強く込められている作品「見えない木」「星野君のヒント」「天使」「保谷」の分析を行い、「架空の故郷」で追求した人生とは如何なるものであったのかを考察した。そこには、群馬県の自然で発見された多様な生物の痕跡から、自分もまたこのような生き生きとした「ふるえ」を持った詩を書きたいという氏の願望が確認でき、これが氏の追求した生であったことが明らかになった。また、氏にとって「架空の故郷」での生活は穏やかな時間を過ごしながら自分の詩と詩論を追求する時期でもあったと考えられる。これを検証するために、「西武園所感-ある日、ぼくは多摩湖の遊園地に行った」と「開善寺の夕暮れ」、また1963年『文芸』7月号に発表した「恐怖の研究」を分析対象にして考察を行った。その結果、文明の変化によって、目の前のすべての環境はもちろん、精神的な部分までも破壊され転覆されたが、詩人としての精神だけは依然としてその場にあり、それが詩人として詩を書き続ける「詩的原動力」であったこと、そしてこれが田村の詩論であったことが明確になった。
一方、群馬県での人生はかつて詩人が抱いていたイメージが少しずつ変化していることに気づく時期でもあった。この事実を明確にするために、「雨の日の外科医ブルース」「恐怖の研究」2連、そして「帰途」「言葉のない世界」の分析を行った。以上の作品からは共通した未来志向的態度が見られた。
第3章では、1967年に刊行した詩集『緑の思想』を中心に生に対する氏の態度について考察をした。この時期には『言葉のない世界』と似たような生き方をしていたことが明らかになった。特に、「日没の瞬間―一九五六年冬―」では「鮮明な日常的意識」と「自然との感応」の認識が見られていた。しかし、氏の言う「日常」とは一般的に言う現実社会での日常ではなく、神奈川県の自然で発見した氏の独自の「日常的世界」であったと言えよう。これは単に都市の生活から離れて自然に入った影響から発現したものではなく、氏の精神世界から生まれた「風景の転換」の影響によって確認できた世界だったと考えられる。
また、「日常的世界」では目の前の事物との視覚的転移による交感が発生しているが、これが如何なる意味を持っているかについての考察もした。特に詩「栗の木」「枯葉」「秋の山」の作品で見られる「木」「枯葉」「日没」「秋空」にこの現象が現れていることが判明した。詩「飛ぶ」では巻き戻しの構造を確認したが、これらは共通して自然物が死んで生まれ変わる過程を比喩しており、結局「人生に対する憧れ」を表していることも明確になった。また、これは詩人を「内面の旅」へ導くきっかけでもあったと考えられよう。詩集の第Ⅱ部の詩「雲見」「岩地」の分析を行った結果、これらの「内面の旅」の最終着地には「光」があった。果たしてこの旅の目的は如何なるものであったのかを知るために、詩「緑の思想」の分析を行った。そして、自然の中での一人旅を通じて「魂の動力」という「腐敗生物質」を発見したことが分かった。これもまた、詩を書く原動力であったと言えよう。まとめると、氏は『言葉のない世界』と同様に「自然」との交感を通じて氏独自の日常的世界を組み立て、暗鬱な過去から抜け出し、外へ、そして未来へ向かう態度を見せたのである。
第4章では、1973年に刊行した詩集『新年の手紙』を中心に、生に対する田村の態度について考察した。ところで、氏はこの詩集を出す前に2度、米国に行ってきている。初回の1967年12月には国際創作プログラム(IWP)に、続いての1971年3月には米国詩人アカデミーに参加する目的であった。この時期の感想はエッセイ「アメリカからの手紙」によく収められている。この時期の氏の姿をさらに明らかにするために、米国の滞在経験を残した手紙や日記形式の詩「「北」についてのノート」や「絵はがき」「頬を薔薇色に輝かせてニューヨークでの6日間」の分析を行った。そこには、初期の詩集で見られた抽象的な詩語の使用は見られず、日記や手紙形式を借りて米国で感じた感情を伝えようとした姿が発見できた。このような変化にはオーデンの「文化共和国」からの影響も見逃せないと考えられる。
以上のことから、「真の詩人」とは物質的・数量的なもののみを重視する社会に巻き込まれず、これらを排除して詩を書く者であると判断し、その妥当性に関する考察を行った。特に、上述のオーデンの考え方との共感が見られる詩「ある詩人の肖像」「おそらく偉大な詩は」「詩を書く人は」「村の暗黒」「虹色の渚から」「ある種類の瞳孔」「緑色の顔の男」を分析した結果、とある思想や集団主義、全体主義思想など、詩と関係のないものをすべて排除して詩を書くこと、そして集団から離れて自由な存在の一人として詩を書くことがオーデンと交感した部分であることが明らかになった。
また、田村は米国で列車の中の「独房」を詩人だけの空間として捉え、想像力が発揮できる空間であると考えていた。このことを立証するために、「個人的な空間」の認識が見られる詩「大陸横断列車内のわが性的経験」「人間の家」「十三秒間隔の光り」「海の風」「鳥·西風」を分析した。そして、列車の中の「部屋」や「言葉でできている家」といった極めて個人的な空間のみならず「海」のような広い空間まで孤立できる場所として考えていたことが分かった。まとめると、『新年の手紙』から見られる生に対する田村の態度は、氏が日本から抜け出した後、自己を相対化するように変化し、さらに能動的な姿を見せるようになったと言えよう。
第5章では、大きく70年代後半と80年代・90年代に分けて田村の後期の生に対する態度を明らかにした。まず、1976年に出版された詩集『死語』の分析を行った。その過程で「夢」を否定し「新しい夢」を語っていることを確認した。これらを詳しく調べるために詩「ぼくは夢を見なくなった」「ふたたび細い線について」「ジム・ビームの思い出―恐怖に関する詩的エスキイス」「暗闇の中の集団」の分析も行った。その結果、氏の態度が集団の夢から個人の夢に移り変わっていたことが判明した。
一方、氏のインドでの経験は、他国の人々にも普遍的な生のサイクルがあることを認知する機会でもあった。この時期の氏の認識を確認するために、詩「壊れた人間のエピソード」「夜間飛行」「噴水へ」を分析した。その結果、詩の中に「浮游する」姿が見られていること、そして、氏が見る夢が「詩の幼少年時代」であったということが明らかになった。要約すると、詩集『死語』では最初から「夢を見ない」と言及していることから、詩を書くのにその原動力を失ったような姿が見られていると言えよう。
続いて1978年に刊行した詩集『誤解』に収録された詩ではどのような夢を見ており、それが生に対する態度にいかなる影響を及ぼしたのかについ考察した。収録された詩の中に夢を直接言及した詩もあれば、間接的に表した詩があることが確認できた。さらに、『死語』で見られていた「浮游する」イメージがこの『誤解』でも続いていることが分かった。したがって、両詩集には「連続性」があると言えよう。この連続性を確認するため、詩「毎朝 数千の天使を殺してから」「物と夢について」を分析したが、これらに共通して見られるのは、挫折した夢を再び叶えるため、どうすればいいかについて語っていたことだ。詩「一時間の夢の光り」「稲妻に関するノート」「春1977」「消えた地平線」の分析を通じては、初期詩集では「老いていく過程」を追求しているものの、以上の作品からその過程を逆に遡っていることが分かった。さらに、初期詩集では「死」に向かって歩いたが、この頃には逆に「生」に向かって進む様子がうかがえる。すなわち、氏の生に対する態度が変わったとも言えよう。
最後に田村の創作時期のうち、80年代から90年代までの態度について調べた。この時期は創作時期を通じて最も多くの詩集とエッセイが出版された時期であり、これは詩人が社会と通じる方法であったといえる。この点をさらに詳しく見るために、本稿では詩集『小鳥が笑った』の「夢」を通じて80年代に氏が如何なる夢を見ていたのかを考察した。また、詩集『5分前』の「悪夢の中で見た美しい夢」と「螺旋状の断崖」、詩集『水半球』の「針の穴」、そして詩集『陽気な世紀末』の「夢の中の逆夢」、『小鳥が笑った』の「路地」の分析を行った。その結果、初期詩集で見られる「垂直性」を帯びた道ではなく、「水平線」になった道方へと方向性が変わってきていたことが判明した。一方、最初は「文学共同体」から出発したものの、晩年になるにつれてその出発点が「ぼく」という一存在に成立ちつつあったということが分かった。特に詩集『小鳥が笑った』の「隠里」と「帰ってきた旅人」、詩集『灰色ノート』の「ぼくは歩いている」を分析したが、今まで歩んだ道は孤独の道ではないことが明らかになった。詩集『新世界より』の「鏡の中の鏡」においては「夢」と「人」という副題が付いている連の分析を、『1999』の「美しい断崖」においては全体の分析を行った。その結果、裸足で歩くことを強調しており、その道の目的はまさに「死に至る」ためであった。
表面的には「歩く」目的が「終末」に向かっているように見られるが、実際の目的は「生」を完成する過程であり、詩人にとっては「詩の完成」への過程であったとも言えよう。したがって、後期詩集で見られる態度は自己省察的な性格が強くなっていたと考えられる。
以上、田村の創作初期から中期、そして後期にかけて、生に対する氏の態度がどのように変わったのかについて考察した。これを通じて、初期の戦後詩人として出発した氏の姿が、時代の状況と相まって現代詩人へと変貌していく過程を詳細に説明できたと考えられる。同時に、初期の詩から氏が強調していた「死んでこそ、生まれ変わる」という「生のサイクル」を晩年の詩人が自ら完成しようとしたとも言えよう。
しかし、本研究では80年代以降の作品群については夢だけで考察を行ったので、より多様な角度から詩の分析を行い、新しい姿を探ることを今後の研究課題としたい。

목차

I. 서론 1
1. 연구의 의의 1
2. 선행 연구 동향 및 문제 제기 3
3. 연구 방법과 범위 8
II. 본론 14
제1장 다무라 류이치의 시적 출발점과 첫 시집에서 보이는 삶의 태도 14
1. 일본 시단에서 전후시의 의미와 변모 과정 14
2. <황무지(荒地)> 시절과 전쟁 체험 26
1. 시집 『사천의 낮과 밤(四千の日と夜)』에서 보이는 자기방어와 극복 의지 43
1) 국가와의 거리감을 인지한 사천 일 43
2) 타인의 등장과 단절과 공백의 의미 52
3) 침묵과 외침의 관계와 비(雨)의 유동성의 의미 60
제2장 시집『말이 없는 세계(言葉のない世界)』에서 보이는 미래지향적 교감1 77
1. 자연과의 일원화로 발견한 미래 77
1) 상실감의 반동 가공의 고향 79
2) 생명의 흔적에서 발견한 시적 리듬 87
2. 현재의 시간에서 찾은 시와 시론 94
1) 천사의 시간과 시인의 시간 94
2) 비애를 공유하는 노동의 의미 100
3. 변화하는 시적 리듬과 색 111
1) 무성음에서 멜로디로 111
2) 미래를 품은 회색의 의미 117
제3장 시집『녹색의 사상(緑の思想)』에서 보이는 미래지향적 교감2 123
1. 개인적인 삶으로의 이행 123
1) 풍경의 전환과 일상적 세계 123
2) 일상적 세계에서 발견한 시의 본질 130
2. 자연물과의 교감과 삶에 대한 동경 135
1) 시각적 전이를 통한 교감 135
2) 되감기 구조로 본 삶의 비밀 143
3. 소생을 꿈꾸는 내면의 여행 147
1) 새로운 삶에 대한 기대 147
2) 부패성물질이 되는 방법과 그 가치 154
제4장 시집『새해 편지(新年の手紙)』에서 보이는 능동적 소통의 발현 159
1. 「미국에서의 일기」의 의미 159
1) 이화 작용을 통한 현실 인식 164
2) 동화 작용으로 발견한 인류의 비참함 169
2. 오든의 문화 공화국에서 공감한 자유 175
1) 진정한 시를 향한 선한 욕구의 발현 175
2) 국가라는 환상에서 벗어나는 방법 184
3. 고독한 개인 공간의 의미 188
1) 상상력의 집합체 188
2) 수직과 수평이 공존하는 바다 195
제5장 시집 『사어(死語)』와 『오해(誤解)』, 그 이후의 시집에서 보이는 자기성찰과 회귀의 발현 200
1. 시집『사어』에서 보이는 자기성찰의 의미 200
1) 집단의 꿈에서 개인의 꿈으로 200
2) 과거를 부유하는 소년의 꿈 213
2. 시집『오해』에서 보이는 역몽의 의미 218
1) 잃어버린 언어를 되찾는 꿈 218
2) 감수성을 되찾는 꿈 226
3. 그 이후의 시집에서 보이는 삶의 태도 232
1) 맨발로 걷는 사람의 꿈 232
2) 수평선을 걸어 완성한 삶 248
III. 결론 256
참고문헌 265
日本語抄錄 274

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