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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
대구사학회 대구사학 대구사학 제82권
발행연도
2006.1
수록면
207 - 232 (26page)

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藤原仲麻呂の亂は奈良時代に起きた叛亂の中で 臣下が王權に對して直接的に軍事力を行事した唯一の叛亂である. 人臣でありながら太政大臣になって權力の頂点にまで登った仲麻呂は 自己勢力の背後になった光明皇后の權威に便乘し, 擬制父子關係である淳仁を卽位させて專權を奮った. この時 行なわれた改革政治は仲麻呂自身の人氣と權威を高揚させる爲のことであった. が皇權から疎外された孝謙上皇との對立が深化し, 自己勢力の背後になった光明皇后, 後の皇太后の死去をきっかげに兩勢力は衝突する事になる. 皇權を取り戾そうとする孝謙と寵臣である道鏡の登場に不安感を感じた仲麻呂は道鏡を退くという口實で起兵し孝謙上皇とのあいだに軍事的な衝突が生じた. 上皇は仲麻呂が淳仁を傀儡として立て, 天皇を手の中にもつ最高權力者として認識し, かれに對して戰いを仕掛けて天皇を廢位し權力者を倒した. 官僚機構や軍事力を掌握していたかれだが權力の中樞である光明皇太后の死去とどもに長い間權力を握った藤原氏に反感を持った反對派の結集によってかれは敗北し一族は誅滅された. 亂の結果は道鏡の擡頭による佛敎勢力の中央進出が目たち, 論功による官人數の增加は官制の紊亂を招來した. したがって中央の財政は窮乏化し, 律令體制の基礎はもっとも惡くなった. 仲麻呂の沒落は政治的には不比等の長男である武智麻呂系列の藤原の南家は衰退し, 以後は次男である房前系の北家の勢力が盛行して平安時代の攝關家として長く權力を保っていく.『續日本紀』の亂の記事の原形は稱德朝に記述されたので仲麻呂を批判し, それを通じて稱德の重祚は簒奪ではなく自己こそ皇統の正統性をもつことを强調している.

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