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학술저널
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저널정보
단국대학교 일본연구소 日本學硏究 日本學硏究 제28권
발행연도
2009.1
수록면
7 - 31 (25page)

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本稿は熊本に如何なる壬亂捕虜が居たのか調査したものである。熊本は壬辰と丁酉倭亂によって海を渡って来日した朝鮮人たちが多かった。その代表的な人物としては知識階層の士族である金宦と漢醫師の李慶宅がおり、技術者には製紙工の道慶と慶春の兄弟がおり, また瓦工には福田という朝鮮人がいた。そして象嵌技術者もあり、その外日本の雜兵になる人もあった。朝鮮捕虜たちは大体は集團を作って生活していたようだ。その痕迹が熊本市には蔚山町, 玉名郡には朝鮮屋敷, そして人吉市には唐人町という地名と五木の子守唄として残っている。 またさらに朝鮮侵略を通じて獲得した土木技術と物も至るところに残っている。例えば清正は朝鮮で得た經驗を生かして熊本城を作り, 干拓と治水事業を行なった。その時多くの朝鮮技術者と朝鮮人たちが動員された。そして物としては朝鮮捕虜が作った朝鮮鋤を始めヨクイニントウ, 朝鮮棒という菓子と赤酒という酒がある。朝鮮から直接持ち去った物として城門と礎石, 庭園の飾りとして利用する石橋があり、臨海君と純和君の字と心情書, 四溟大師の親筆などがあり、 安東河回の假面がある。このように熊本は壬辰と丁酉倭亂の時に連行された捕虜の痕迹が多く残っている。こうした意味で熊本は壬亂硏究においては見逃せない重要な寶庫であることに異論の余地はない。

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