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저널정보
단국대학교 일본연구소 日本學硏究 日本學硏究 제53권
발행연도
2018.1
수록면
9 - 32 (24page)

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上田秋成(1734-1809)の「迦具都遅能阿良毗」は、天明8年(1788)1月30日に起こった 京都大火について記した文章である。当時秋成は大阪郊外の淡路庄村に住んでいた が、たまたま遊覧のために上京し、伏見で梅を見てから友人の松村呉春(1752-1811)の 四条東洞院の家に泊まっていた。30日の未明に「焼亡」(火事だ)と人々が騒ぐ声がし て、鴨川の東側から火事が起こったことを知る。最終的には、御所や二条城をはじめ、市街地の8割が焼けたという未曾有の大火で、呉春の家も焼けて、聖護院近くに いた、これも友人の几董の家に避難したりしている。夕方、秋成は淀舟で大阪へ戻ろ うと、市街地をつっきって伏見に行くが、そこまでの間に見聞したこと、具体的に言 えば、京都所司代や神泉苑が焼けた、二条城が危ない、御所も焼けたなどの罹災の 情報や、天皇や上皇がどこそこへ避難したなどの噂が記され、また秋成自身の目に映った、子を前後に負って年寄りの手を引く女、布団のまま担がれる病人、無理に歩かせられる妊婦、迷子を捜す人、小いさかいをする人、神仏を恨む人の姿が描かれ る。文飾を抑え、情景を正確に写していくようなルポルタージュ風の和文で、同じ大 火を記した伴蒿蹊『かぐ土のあらび』や、千秋老人『花紅葉都噺』が、読み物風にでき 事を潤色しているのとは対照的である。「迦具都遅能阿良毗」は、和文がルポルタージュの文体になり得るかどうか試みた、秋成の実験であった。

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