메뉴 건너뛰기
.. 내서재 .. 알림
소속 기관/학교 인증
인증하면 논문, 학술자료 등을  무료로 열람할 수 있어요.
한국대학교, 누리자동차, 시립도서관 등 나의 기관을 확인해보세요
(국내 대학 90% 이상 구독 중)
로그인 회원가입 고객센터 ENG
주제분류

추천
검색

논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
세계문학비교학회 세계문학비교연구 세계문학비교연구 제29호
발행연도
2009.1
수록면
145 - 173 (29page)

이용수

표지
📌
연구주제
📖
연구배경
🔬
연구방법
🏆
연구결과
AI에게 요청하기
추천
검색

초록· 키워드

오류제보하기
石川啄木の歌集『一握の砂』と巻頭歌について考察してみた。巻頭歌は日本であまり有名な歌であるだけに、収拾つかぬほど諸説紛々であるが、大ざっぱに整理すればそれらは二大別できる。一つは、『海󰡕』磯󰡕にどこか実在の海浜を探り、追憶に泣いている作者の心を歌の主題とみる立場、一つは『海󰡕も『磯󰡕も抽象的、概念的構図の一部とみて、象徴的技法の中で作者が「泣きぬれて」いる歌と解する立場である。でも最近は、特定の場所や一定の時期への追憶といった要素をもちこむよりも、一般的な心情の表出と解するほうが、代表歌とされた理由として認められている。  私も「一定の時期への追憶」でもなく、場所が「大森浜」とも解しない。啄木は「大森浜」への追憶はちゃんと「しらなみの寄せて騒げる函館の大森浜に思ひしことども」と歌っている。「東海の小島」は多くの研究者が指摘しているとおり「日本国」だとも鑑賞できる。それに、「東海」「磯」よりも「蟹」が大事なキーワードだと思う。「蟹」は「立体的な場面構成が収斂する一点として」の働きばかりでなく、作者の時代に抵抗するメタファーとしての働きもある。「我を愛する歌」という言葉はその時代にあっては高らかな宣言のような響きを持っていた。啄木が冴えた意識をもって、この「蟹」をわざと素材として取っていたと思う。彼の詩「蟹に」も歌われる「かしこき蟹」であり、「人がみな/ 同じ方角に向いて行く.。/それを横より見ているこころ。(悲しき玩具)」の視線は横ばいする「蟹」の視線とつながっていると思う。真正な価値も知らずに「同じ方角に向いて行く」時代の道に啄木は横ばいをして逆らいたい、またぶつかりたい気持を「蟹」に託していたと鑑賞できる。「かしこき蟹」という詩語に注目したい。「泣きぬれて」は時代への精神的な悲しみをたっぷりと表した表現だったと思われる。「真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみ」に違いない。そして「蟹とたわむる」にはあまり感傷的な雰囲気が伝わってこない。「蟹」は日本の抒情詩によく出てくる「かもめ」や「ちどり」のイメージとは異なる。触りにくく、あらっぽい感じである。冒頭の「東海の小島…」の歌は「自己の小ささの嘆いている歌」でもなく、「みじめな生涯を自憫する啄木の悲鳴」ではないと言えよう。プロローグとエピローグまで考えながら編集した啄木だけに、ただの感傷にまかせて詠んだとは思えない。詩人啄木は病気にかかり、貧しい暮らしにも負けず正義感に溢れて「時代閉塞の現状」を述べた堂々たる魂の持ち主であった。  啄木は「蟹」に託して時代の流れに抵抗していたとおもう。「一握の砂」はその当時の潤いのない孤独な近代人の生活を暗示しているように思われる。歌集の中で歌われている人々は、作家を含めて、妻․母․女の教師․イエス․クリストの道を説く若い女․眉の秀でた少年․芸者․牢にある友․植民地の友 などである。ちいさい<蟹>のようで、横ばいできる意識をもっていた隣人への作家の視線である。それが今も啄木が読まれる理由であろう。啄木は、時代性と内面性を共に活かした、稀に見る作家であった。

목차

등록된 정보가 없습니다.

참고문헌 (17)

참고문헌 신청

함께 읽어보면 좋을 논문

논문 유사도에 따라 DBpia 가 추천하는 논문입니다. 함께 보면 좋을 연관 논문을 확인해보세요!

이 논문의 저자 정보

최근 본 자료

전체보기

댓글(0)

0