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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
이지형 (숙명여자대학교)
저널정보
중앙대학교 일본연구소 일본연구 일본연구 제30집
발행연도
2011.2
수록면
315 - 336 (22page)

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本論文は、島崎藤村とドビュッシー音楽の遭遇を通して近代日本文学と西洋音楽との交渉の重要な一例を考察しようとした研究である。パリでのドビュッシー音楽体験は藤村個人の「至福の時間」であったと同時に近代日本の知識人が20世紀初期、ヨーロッパの新芸術を受容するきっかけとなった文化史的事件であった。とりわけ藤村を感動させたドビュッシーの音楽は<子供>と<童心>を主題としたピアノ小曲『子供の領分』であった。
ドビュッシー音楽体験は藤村の文学のなかで大きく三つの様相として表出された。『平和の巴里』『エトランゼ』など旅行記で見られる感動の具体的叙述、小説『新生』における経験事実の消去、そして童話創作を通した新しい文学への形象化がそれである。そのなかでもドビュッシー音楽の驚異と感動を極めて抑えた『新生』の禁欲的叙述から露呈されることは逆説的に、フランス滞在の意味を<新生事件>に対する苦悩と贖罪の時間として読者側に訴えたい作家藤村の強い欲望である。一方、読者として想定される子供たちに父親が非虚構的な日常話を直接に言い聞かせる形式の<父性>的<口演性>を特徴とする藤村の童話には、ドビュッシー『子供の領分』から受けた霊感が大きく影響を与えたと思われる。それは物語性を強調し、母性を浮き彫りにした同時代の主流的童話とは明らかに異なる文学であった。
このように音楽は芸術ジャンルの境界を乗り越えて近代日本文学の磁場の中で多様な様相として新しく変奏される。音楽は文学を通して記録されて、消去されて、そして再構築される。

목차

1. 들어가며
2. 선행연구에 대한 검토
3. 시마자키 도손과 드뷔시의 조우
4. 드뷔시 음악의 특징과 도손의 반향
5. 음악이 문학으로 투사되는 세 가지 양상
6. 나가며
參考文獻
要旨

참고문헌 (0)

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