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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
김명수 (계명대학교)
저널정보
동아시아일본학회 일본문화연구 日本文化硏究 第47輯
발행연도
2013.7
수록면
29 - 53 (25page)

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1897年に設立された漢城銀行は1903年12月に公立漢城銀行として再?足した。1902年5月の?時、第一銀行券の流通問題は韓???界の焦眉の?心事であった。李容翊などは自主的な貨幣制度及び金融制度を確立しようとした努力し、必要資金を求めて外?との借款交?を展開した。
野津?武は韓?人の抵抗とロシアのけん制を危?して韓?人の??する銀行を通じて第一銀行券を流通させようとした。1903年に入って宮中と?慶式に所用される資金調達は至急の問題であった。
李容翊などのロシアとの借款交?に危機感を感じた日本は漢城銀行を媒介とした民間借款を計?した。民間借款の??者は第一銀行券の流通問題で苦心していた第一銀行であった。
第一銀行券の流通問題が解決され、日露??を?て韓?を?質的に支配することになった日本は、漢城銀行に解散を求めた。しかし目賀田顧問が?施した貨幣整理事業が深刻な金融恐慌を呼び起こした。目賀田顧問は金融恐慌の打開策の一環として漢城銀行を株式?社にして存?させる計?を樹立した。解散にまで追い?まれた漢城銀行が生き?ることができた所以である。
植民地着に入って韓相龍は漢城銀行が危機に?るたびに誰よりも先に??と相談し指導を受けた。このような?係の原型が本論文で?討した公立漢城銀行の再編過程で形成されたのである。

목차

서론
제1장 대한제국의 차관 교섭과 공립한성은행
제2장 제일은행권의 유통 문제와 공립한성은행
결론
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