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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
박상현 (경희사이버대학교)
저널정보
동아시아일본학회 일본문화연구 日本文化硏究 第39輯
발행연도
2011.7
수록면
223 - 236 (14page)

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京城帝?大?で「朝鮮人」として?時の「?文?=日本文?」を?攻とした者は、たった二人しかいなかった。徐斗銖と崔星熙がその人たちだ。崔星熙は卒業後、?攻を?えて法?科に進?してしまうが、彼女と違って徐斗銖は卒業した後、梨花女?で「?文?科=日文?科」の?員と
なって日本文?に?する評論や論文などを?表しつづけた。その中で特に注目されるのは、1942年11月2日から12日にかけて?日新報に連載した「防人歌:稚拙な移植」といった防人歌の朝鮮語?である。それには?20や?14に納められている防人歌が朝鮮語で?されている。
ところで、徐斗銖は防人歌を朝鮮語で??したとき、どんなところに?を配ったのであろうか。また、彼の??意?はなんだったのであろうか。
徐は防人歌を朝鮮語で?した際、?容のみならず、以下のように5ㆍ7ㆍ5ㆍ7ㆍ7といった和歌の形式までにも念頭に入れて??に臨んだ。すなわち、彼は「橘の美衣利の里に 父を置きて 道の長道は 行きがて
ぬかも」(?20ㆍ4341)といった作品を「서슴는고야(5) 미에리?그곳엔(7) 아비홀로니(5) 길고긴이내갈길(7) 참아못가서슴네(7)」のように??したのである。つまり、彼は作品の?容にとどまらず、和歌の形式までをも朝鮮に「移植」したかったと考えられる。
また、徐は「?の日本心」すなわち「忠君や愛?の精神」を防人歌から見いだし、それを日本の?統と見なした。そして、そうした日本の?統を太平洋??に出兵する朝鮮人の兵士に植えつけたいという欲望が彼にはあった。そのことは防人歌を朝鮮語で??した彼の意?と密接にかかわっていたであろう。
一般的に??というものはニュ?トラルなものとして受け入れやすいが、植民地朝鮮で行われた「??」というのはけっしてそうではなかった。植民地朝鮮における「??」は皇民化のチャンネルの役割を果たした側面もあったが、それをよく見せてくれるのが、徐斗銖が試みた防人歌の朝鮮語?だったといえよう。

목차

1. 서론
제1장 서두수와‘국문학=일본문학’
제2장 병사의 노래(防人歌)의 조선어역
제3장 서두수의「防人歌(사키모리노우다) : 치졸한 이식」
결론
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