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동아시아일본학회 일본문화연구 日本文化硏究 第31輯
발행연도
2009.7
수록면
449 - 468 (20page)

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本稿は、凡父金鼎卨(1897-1966)の履歷の中で未だ不明のまま?されている日本遊?ㆍ行蹟について?討したものである。
凡父は?時‘慶州の三大天才と言われ、日本遊?時頭山滿(1855-1944)に尊敬された人物で留?生の中で嶺南第一の天才という別名が得られたらしい。凡父は白山商?の己未育英?の??生として選ばれて始めて日本に渡るようになる。その時彼は日本の近代的知識を?んだようである。
彼は、?林?塾の初代?長として就任するとき作られた履歷書には‘東洋大?を卒業’したとか ‘比叡山專修?院名?講師’に務めたとかいう?歷が記されており、凡父の主著『花郞外史』や凡父に?する??の?究にも日本遊?についていろいろと記?されている。
が、これらには不明な点が多く未だ再?討を?ていない。これまで考?なしに‘凡父は19세(1915)に白山商?己未育英?の?生として日本留?をしたという記述があるが、これは誤りで、本?は1920年3月のことであり、また1921年東洋大?哲?科卒業という履歷も誤記であることが分かった。
結論的に、李完栽が指摘したように、凡父の日本遊?は、本格的究よりも短期間‘日本?者との交遊や??の視察のための日本行’であったといった方がよかろう。これから凡父の履歷全般について??を兼ねての再?討が必要であろうと思う。

목차

서론
본론
결론
참고문헌
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