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저널정보
동아시아일본학회 일본문화연구 일본문화연구 제4집
발행연도
2001.4
수록면
355 - 375 (21page)

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『法華驗記』には、比叡山延磨寺の歷史を考える際、重要と思われる良源の話が語られていない。その反面、延磨寺の創開者最澄ㆍ橫川の創始者円仁は上卷の冒頭說話、良源の弟子の增賀と源信の話は、下卷の冒頭說話としてかえって强調されている。良源の橫川中興は有名な史實であるにもかかわらず、鎖源の『法華驗記』は、それをまったく傳えていない。そこでまず、『法華驗記』以外の文獻に基づいて、良源の橫川中興事業の展開と、世俗化の問題を檢討した。橫川は、第三代天台座主円仁によって開創され、東塔ㆍ西塔とともに比叡山三塔を構成したが、開祖円仁の沒後、衰退してしまった。これを中興したのが良源である。橫川は良源によって急速に發展した。また、良源は橫川の復興にとどまらず、比叡山延磨寺を統括する天台座主の位に就き、敎學機關創設、堂僉建立など、多くの業績を殘した。しかし、良源のこのような行爲には、後の橫川の世俗化を促進するような 側面もあったことが見られる。一方、良源の弟子である增賀は脫世俗的な人物として一般に知られているが、『法華驗記』ではこのような反世俗的な隱遁者としての側面がさらに前面に押し出されているようにみうけられる。つまり增賀は權力の象徵であり、しかも良源と關連する冷泉天皇と國母女院の前で狂氣を行った直後、比叡山を離れ、多武峯に隱棲することになる のである。このように摺賀ㆍ源信などの反世俗的人物像の强調と橫川の世俗化をおしすすめた良源の說話が記されていないことから察するに、「法華驗記』の編者鎭源は、上記のような諸事件の原因を良源ㆍ尋禪一門による延磨寺の世俗化によるものと考え、それに對し强い批判精神をもっていたということの反映といってよかろう。

목차

Ⅰ. 서론

Ⅱ. 본론

Ⅲ. 결론



참고문헌

日本語要旨

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