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학위논문
저자정보

히로세 에이코 (경상대학교, 경상국립대학교 대학원)

지도교수
권해주
발행연도
2021
저작권
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이용수77

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이 논문의 연구 히스토리 (6)

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序章
本論文の?究の目的は、宮崎駿監督の映?にあらわれる家族?を明らかにすることである。本論文では、家族の?念や形態が?容してきた日本の?史的?社?的背景において、宮崎が自らの映?を通してどのような家族?を提示してきたのかを考察していく。
先行?究は、日本だけでなく韓?を始めとする海外において、??な?点で議論されたものがある。日本の?立???書館の電子システムによる資料?索(2021年8月時点)によると、日本で宮崎駿に?連する?行本は714冊、?誌記事は479件に及ぶ。韓?の???書館の電子システムによる資料?索によると、韓?で宮崎駿の映?を主要論題として扱った?行本は14冊、?術論文は81件になる。?位論文にいたっては、日本では7編の博士論文があり、韓?では1編の博士論文と38編の修士論文がある。
宮崎の映?にあらわれる家族?に?連する先行?究を?討した結果、次の4点が明らかになった。第一に、宮崎の映?に登場する家族の血?の希薄化と擬似家族形成の問題である。第二に、主人公の自立の問題である。第三に、「母なるもの」あるいは母性という?点で心理?的分析が多くなされてきたことである。第四に、先行?究において家族社??の?点が十分ではなかった。したがって、宮崎の映?にあらわれる家族?を全?的に把握するために、初期?中期?後期という時期?分を通して、各時期の代表作を中心に家族社??の理論的背景を根?として「家族」という軸で一貫して分析を行った。この点が?存の先行?究との違いであり、本?究の?創性であると考える。先行?究で論点になっている、主人公家族の血?の希薄化と擬似家族形成の問題、さらには主人公の自立の問題を?史的?社?的背景において、宮崎の家族?の?容と照らし合わせながら究明する必要があると思う。
?究方法は、映???社???民俗?を中心とした?際的アプロ?チ方法をとる。主に映?評論やその理論的背景をなす映??のアプロ?チをとるが、「フィルム的なもの」?ち、作品を中心とした分析のみにとどまらず、製作や?客の背後にある社?的?係性の問題も?象として?究を行った。まず、宮崎の映?を時期別に選定し、映?ごとに主題を導き出した。次に、映?にあらわれる家族?を把握するために、映?ごとに主人公家族の類型を分類した。日本の「家」は非血?者を完全な意味の構成員とすることから「世?」中心であるといえる。したがって、論者は家族の類型を居住規則を基準として、夫婦家族?直系家族?複合家族、そしてそれ以外の家族を?家族に分類した。?家族の類型は、縮小型??容型??張型の3種類に分類した。また、「居住の共同」と「血?の共同」というミニマムの要件を?たさなくても、「ファミリィ?アイデンティティ(FI)」を共有する場合、その集?を「擬似家族」であるとした。さらに、人間以外の存在に「FI」を感じる「家族幻想」の?念にしたがい、「擬似家族」の範?を人間以外の存在にまで?げて設定した。このように、「紐?、絆」を重要視する日本の家族の脈絡において、まず居住規則を基準として主人公家族の類型を分類し、次に「FI」の?念にしたがい擬似家族についても補助的に分析を行った。また、家族?の情??係や?親像、親の行動など?部構造を把握した。テキスト分析を通して、その意味するところを場面や人物の設定、セリフ、スト?リ?展開などを素材として分析した。その際、宮崎の個人的??や?言も?考にしながら各作品に?する創作意?を見いだし、宮崎が同時代のどのような現?を描き、自分のものとして消化したのかを?討した。最後に、主題との?連?相について論じながら、映?にあらわれる家族?をより深い次元で究明することに焦点をあてた。
?究?象は、宮崎が原作?脚本?監督を務めた映?の中から、代表作として家族?がよくあらわれている映?を選定することにした。前期は、『風の谷のナウシカ』(1984)と『となりのトトロ』(1988)を?象とし、中期は、『もののけ?』(1997)と『千と千尋の神?し』(2001)を?象とし、後期は、『崖の上のポニョ』(2008)と『風立ちぬ』(2013)を?象とする。

第1部 初期の家族?
第1章は、宮崎が初めて原作?脚本?監督を務めた『風の谷のナウシカ』にあらわれる家族?を考察した。主人公のナウシカは、親を亡くし孤?のような存在ではあったが、風の谷の住民から絶大の信?と愛情を受けながら成長し、ペジテという?の?であったラステルの家族がナウシカの擬似家族となった。何よりナウシカは、王蟲という?力をもった巨大生物と交わりながら愛情を育て、腐海で母の?のような平安を得ていった。人間中心主義を志向する親から分離する過程で、ナウシカは自然中心主義を志向し、親の命令に屈することなく自分の意思を突き通し、その結果、人間と自然の共生と平和を?現する「??の人物」となりえた。宮崎は、親の意?に屈することなく自分の意志を貫き、自己同一性を確立する重要性を?えようとしたものと思われる。ナウシカの家族は、血?家族の機能の弱化により、風の谷の城を中心とした?張型?家族に?展し、さらには腐海に住む王蟲と一つになる「家族幻想」に?展したものと分析できる。
第2章では、『ナウシカ』から4年後に公開された『となりのトトロ』にあらわれる家族?を考察した。主人公のサツキは、10?という年?にもかかわらず、結核で入院中の母親と考古?者の父親の度重なる不在により、家事を任され幼い妹のメイの面倒まで見る必要があった。子供の自律性を尊重する?親は、サツキにとって理想的な?親像であったために、余計に親の不在はサツキに大きな不安を?えることになった。「アダルト?チルドレン」になるしかないサツキは、自らの精神的限界にぶつかり「依存」する術を得ていった。その中で、本?の意味での自立とは、依存する過程を通過するべきであるというテ?マを導きだすに至った。親の不在は、楠の森に住むトトロと隣の家のカンタとカンタのおばあちゃんが埋めてくれた。サツキの家族は、母親が欠けた縮小型?家族から、カンタとカンタのおばあちゃん、村の共同?に精神的に依存する擬似家族に?展し、さらには、楠の森に住むトトロに依?する「家族幻想」に?展したものと思われる。
宮崎はナウシカとサツキという2人の主人公を通して、「自立」の意味を提示した。親に屈することなく自分の意志を貫く必要性があるが、大人に依存することも重要であるということだ。「分離」と「依存」の過程を通して自立するという?念は、相反した意味も含むが、相互補完的な?係であるともいえる。成長過程において、親との信??係を築くことが重要であり、そのような親に依存する過程を土台として、自らの信念を確?なものにしていく必要性を訴えようとしたものと思われる。
以上のように、初期の作品にあらわれる家族?は、主人公の不安定な血??係を補うべく共同?の家族意識に?がり、腐海と楠の森という自然を背景として王蟲とトトロという超自然的存在に依?した家族幻想に?展した。これは、あらゆる事物には精?がいるとするアニミズム的精?思想を土台に?展したものと思われる。このように、初期の作品において、不安定な血?家族に代わる擬似家族が巨大化し、精?に依?する家族幻想に至ったものと考察された。

第2部 中期の家族?
第1章では、『となりのトトロ』から9年後に公開された『もののけ?』にあらわれる家族?を考察した。宮崎は、アシタカとサンという社?的弱者を主人公に立て、どのような人間でも生きる?値があるという、人間の尊?性を?えようとしたものと思われる。アシタカの家族は、血?の親が欠けた縮小型?家族から、ヤックルというコンパニオン?アニマルに依?した擬似家族に?展した。サンの家族は、血?の親が欠けた縮小型?家族から、シシ神とモロという山犬神に依?した擬似家族に?展した。そして、アシタカとサンが結合した家族は、夫婦別居を約束するものとして縮小型?家族があらわれたのと同時に、?時の家族の個人化を反映しているものとみられる。
第2章は、それから4年後に公開された『千と千尋の神?し』にあらわれる家族?を考察した。主人公の千尋は、親に依存的であり無?力な10?の少女であったが、異界で「豚」になった親としばし離別することになった。異界において千尋はハクという河のカミに出?い、彼の愛情によって生きる力を見出し、能動的な少女として自立していった。千尋は、人間世界から隔てられた異界の湯屋で、魔女·妖怪·カミという多?な存在を擬似家族として成長していった。千尋の家族は、現?世界において典型的な核家族の形態であったが、異界で湯屋を中心とした?張型?家族に?展した。異界に入り無能化した親の代わりに、ハクは千尋の精神的父母の役割を果たした。異界において自己同一性を確立した千尋は、現?世界でもう一度親を中心とした核家族に?ることになった。
宮崎は、アシタカと千尋という二人の主人公を通して「生きる意味」を問うた。親や氏族から捨てられたアシタカとサンは、愛し愛されることを通して人間として生きる?値を見出した。無?力であった千尋は、河のカミの絶?的な愛情に?づくことで生きる力を取り?した。アシタカと千尋は、人間の尊?性と生きる意味を見出すために、より根本的な存在であるカミに共鳴することになったのである。アシタカとサンは動物神に、千尋は自然神に、自らの存在意義を見出した。
以上のように、中期の作品にあらわれる家族?は、カミの世界を背景として、山犬神とシシ神、ハクなどの動物神と自然神に依?する疑似家族?を確立したものと思われる。これは、あらゆる万物に神性があるとするアニミズム的万物汎神?を土台に?展していったものと思われる。中期の作品において、超自然的な擬似家族は「居住の共同」により、?なる「幻想」ではなく具?的な?張家族となったものと考察された。

第3部 後期の家族?
第1章は、『千と千尋の神?し』から7年後に公開された『崖の上のポニョ』にあらわれる家族?を考察した。主人公の宗介は、船長である父親の長期の不在により、5?であるにもかかわらず?立的な性格に育った。宗介は魚少女のポニョに出?う中で、魚のポニョも半魚人のポニョも人間のポニョもみんな好きだという、存在の多?性を認め心から愛する意味を問うた。宗介の家族は、父親が欠けた縮小型?家族から、「ひまわりの家」のおばあさんに精神的に依存する擬似家族に?展した。ポニョの家族は、人間であった父親と海神の母親との結合による?容型?家族?があらわれるものとみられる。そして、宗介と人間になったポニョの結合家族は、夫婦家族となることを前提としている。
第2章は、『崖の上のポニョ』から4年後に公開された『風立ちぬ』にあらわれる家族?を考察した。『風立ちぬ』は、1920~1930年代の日本を時代背景としており、飛行機設計士の堀越二?と、小?家の堀辰雄、宮崎の父親をモチ?フにしている。主人公の二?は、飛行機設計士という夢を胸に抱き成長し、「美しい飛行機」、零?を完成させるため全ての情熱を注いだ。飛行機は殺戮と破?の道具になる、という現?を知りつつ飛行機を設計するという矛盾を抱きながらも、二?は自らの理想を追及した。二?は結局零?を成功させたが、日本は敗?し、妻である菜?子を結核で亡くした。?と愛する人を同時に喪失したのであった。二?が??の中で??した「矛盾」と結核による「喪失感」は、宮崎の個人的??が影響している。宮崎はこの作品によって、??と結核による絶?的喪失感において美意識を見出すに至った。宮崎は、自分の根源である親の問題を「滅びの美?」により昇華して克服したものと思われる。二?は現?世界で理想的な近代家族を形成したが、夢の世界でカプロ?ニという人物に?る家族幻想を形成したものとみられる。菜?子の家族は、母親を結核で亡くし、母親の欠けた片親家族となった。二?と菜?子は結婚し、二?の?社の上司である?川の家に居候する?張家族となった。
宮崎は、宗介と二?という二人の主人公を通して、「存在の多?性」を認め、「矛盾と喪失」を克服していったものとみられる。これは、多?性を追求するポスト?モダニズムの時代性を反映しているものだろう。また、宮崎は、『崖の上のポニョ』の制作時、死の問題を考えるようになった。「死」を前にして、宮崎はあらゆる存在に?わる理解を?げ、自分の根源である親の問題に回?しながら、その思想?系をより深めていったものと思われる。そして、千尋が最後に多?な擬似家族に別れを告げ、トンネルを通過して人間世界に?ってきたことは、宮崎がこれまで求めてきた精?やカミからなる幻想的家族への「離別」を意味しているであろう。ポニョは魔法を捨て「人間」を選?し、二?は精?やカミのような幻想的存在に?る代わりに、夢の人物と交流するようになった。宮崎は、結果として、「人間の家族」に回?したのである。最後に、「?り」?された二?の姿は、孤立化した現代人を?し出している。
以上のように、後期の作品にあらわれる家族?は、異類婚から、人間になったポニョと宗介が結合する夫婦家族へ、さらには夢の人物に依?する家族幻想へと?展した。このように後期の作品において、超自然的な擬似家族から人間を中心とする家族への移行が見られた。

終章
これまでの考察を通して、最終的に以下のような結論に至った。宮崎の映?にあらわれる家族?において、終始一貫していたことは、第一に、親の不在と血??係の不安定さである。親の不在という家族形態が、本論文で分析?象となった全作品にあらわれており、特に『ナウシカ』や『もののけ?』において「?親の死」あるいは「捨て子」という形で?著になった。『トトロ』や『ポニョ』の主人公の家族は、愛着?係で相互結ばれているが、?親の不在や多忙という物理的?件により、家族の精神的基盤が根底から?るがされている。第二に、子の自律性を尊重する?親像である。親が子の自律性を尊重する行動が極端になると「無視」する行動に至る。自律性を尊重する程度を超えて、多少放任的で淡泊な親に設定することで、子に?する親の影響力を最小限にしたものと思われる。?威的な親は「死」を迎えるか、子から「無視」されるなど、宮崎の映?には儒?的な孝の?念は見られなかった。第三に、主人公は血?家族の代わりとなる擬似家族を形成し、共同?の家族意識につながっていった。日本の養子制度や?親などの慣行に見られるように、擬制的な家族へと?張する宮崎の?想は、日本人としていたって自然なものであるといえる。第四に、少年の主人公の「結婚」である。少女の主人公たちは異性と「結婚」するまでには至らない、いわゆる「友達」どまりであったが、少年の主人公たちは「結婚」を前提とするまでの?係に?展していった。これは、「妻」に「母」を同化させようとする宮崎の「母子密着」からおこるものと思われる。
宮崎の映?にあらわれる家族?において、時代の流れに伴い?容してきたことは、第一に、主人公の家族の類型の?容である。宮崎の映?の中で描?された家族の??は、家族の個人化から、家族の多?化、家族の?容へと?貌する日本の家族を反映していた。宮崎は、?家族化する日本の家族について、あくまでも?容的な態度をあらわしたのである。第二に、主人公の擬似家族の象?性の?容である。主人公の擬似家族の象?は、自然の世界からカミの世界へ、さらには人間の世界へと移行していったものとみられた。第三に、血??係の堅固化である。宮崎の映?において、親の不在や血??係の不安定さを指摘したが、むしろ血?家族の類型は後になるにしたがって、安定化しているのである。『千と千尋』の千尋は最終的に核家族に?っていったし、『ポニョ』のポニョは、人間になり夫婦家族を形成する決意をしていった。特に、『風立ちぬ』においては近代家族が理想化された。
ここで、注目すべきことが二点ある。一つは、宮崎の映?に一貫してあらわれる「血??係の不安定さ」と「血??係の堅固化」のジレンマである。「母性喪失」という個人的??から、「親の不在と血??係の不安定さ」を基盤とする家族?が形成され、それが宮崎の映?において家族?の深層を形成していったものと思われる。もう一つは、「時代を反映する家族?」と「時代の流れを遡る家族?」のジレンマである。時代の?化にしたがって?貌する日本の家族を敏感に映?の中で反映させる一方、血??地??社?が弱?化する時代の?化とは裏腹に、それらの?係を映?の中でより?固なものとしていった。これは、宮崎の映?にあらわれる家族?の二重性であるといえる。日本の家族の?化を?迎する一方で、かつて堅固であった中間集?の重要性を?調しているのである。家族の普遍的な規範や?値を失いつつある日本の家族の現?において、宮崎はもう一度「純?な?係」に?する?疑を含め、「?係性の回復」の必要性と、さらには「血?」だけでなく「選?」による家族の意義を訴えようとしたものと思われる。人間の本質的な問題に苦?した宮崎が到達したものが、?張家族やコンパニオンアニマル·自然·カミなどに?する「家族幻想」であり、それらは孤立化した日本の家族への代案となるであろう。宮崎の映?において、家族を構成する「血?」と「選?」の?係を一元的に認識することで、互いに「紐?」を形成し共に生きる「家族」を創出するに至った。ここでいう「家族」とは、血??係にとどまることなく選?的?係を志向せんとする自由な性質をもつものである。これは、人間と自然とカミを三分法的に?別しない日本の世界?に呼?して、自然とカミの世界と一つになる新しい家族?を生み出したものと考察された。
今後の?究は、宮崎駿監督だけではなく、他のアニメ?ション映?監督の映?にあらわれる家族?を考察し、より多?な視点で日本の家族?を?究したいと考えている。特に「ポスト宮崎」の後に?く新海誠監督は、宮崎監督より30年後に生まれた日本人として、現代的な感性を?揮し日本で相?な社?的共感を得ている。今後は、2010年以降の映?を?象として、現代日本の家族?をより綿密に分析するとともに、日韓の家族?に?する比較?究を目指していきたいと思っている。

목차

서장 1
1. 연구의 목적과 필요성 1
2. 선행연구의 검토 3
3. 연구방법과 분석대상 9
1) 연구방법 9
2) 분석대상 18
4. 용어의 정의 19
제1부 초기의 가족관 24
제1장 바람계곡의 나우시카에 나타난 가족관 24
1. 들머리 24
2. 분리와 자립 25
3. 영화에 나타난 가족관 28
1) 직계제 가족의 축소화 28
2) 나우시카와 라스텔의 일체화 32
3) 바람계곡 공동체의 이상화 34
4) 부해(腐海)의 환상적 가족 36
4. 마무리 41
제2장 이웃의 도토로에 나타난 가족관 43
1. 들머리 43
2. 의존과 자립 46
3. 영화에 나타난 가족관 48
1) 근대가족의 축소화 48
2) 이웃 가족과 마을 공동체로의 확대 51
3) 녹나무 숲의 환상적 가족 53
4. 마무리 57
제2부 중기의 가족관 59
제1장 원령공주에 나타난 가족관 59
1. 들머리 59
2. 인간의 존엄성 61
3. 영화에 나타난 가족관 65
1) 버림받은 인간의 의사가족(擬似家族) 65
2) 숲의 주(主)된 시시가미(シシ神) 68
3) 개인화와 별거혼(別居婚) 71
4) 다타라마을(タタラ場)의 대리 부모 74
4. 마무리 75
제2장 센과 지히로의 행방불명에 나타난 가족관 77
1. 들머리 77
2. 자연신의 사랑과 삶의 원동력 79
3. 영화에 나타난 가족관 82
1) 무기력한 아이 82
2) 이계(異界)의 대리 부모 84
3) 이계의 공동체 가족 86
4) 거처 없는 가오나시(カオナシ) 92
5) 혈연가족으로의 복귀 94
4. 마무리 95
제3부 후기의 가족관 97
제1장 벼랑 위의 포뇨에 나타난 가족관 97
1. 들머리 97
2. 존재의 다양성 98
3. 영화에 나타난 가족관 101
1) 자립적인 아이 101
2) 요양원의 확장가족 104
3) 인간과 해신의 이류혼(異類婚) 105
4) 인간 가족으로의 전환 111
4. 마무리 113
제2장 바람이 분다에 나타난 가족관 116
1. 들머리 116
2. 상실의 미학 118
3. 영화에 나타난 가족관 121
1) 근대가족의 이상화 121
2) 환상의 최소화 124
3) 직장연(職場)의 확장가족 125
4) 비판에서 수용으로 129
4. 마무리 132
종장 134
1. 주제와 가족관의 관련양상 134
2. 미야자키의 영화에 나타난 가족관의 일관성과 변용성 138
인용문헌 146
본 논문에 재록한 기발표 논문의 초출 일람 156

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