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저널정보
한국연극학회 한국연극학 한국연극학 제37호
발행연도
2009.1
수록면
65 - 96 (32page)

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『日本書紀』612年の記録によれば、百済の味摩之が日本に帰化して、自分は呉から学んだので伎楽の歌舞ができる、と言った。それで、彼を桜井に定着させ、若者を集めて伎楽を教習させた結果、その歌舞が今に伝わった、とある。 この日韓両国の演劇交流の始原について、保田與重郎(1910〜81)は、1972年、奈良県桜井市JR桜井駅の南にある児童公園に顕彰碑を建て、記念した。その時の考証の根拠は、①現地の土地台帳に「土舞台」という字が存在する。②『聖徳太子伝暦』にも同じく桜井村と出ており、聖徳太子誕生地の「上宮」もその地に隣接している、ということであった。 しかし、「土舞台」という地名の歴史は、『日本書紀通釈』などの注釈書および『大和名所記』などを調べるかぎり、17∼18世紀をさかのぼることはできない。また、『聖徳太子伝暦』は歴史学的に評価の低い書物であり、「上宮」についても諸説が別れている。 その上、最近の発掘調査によると、当所は、少なくとも5世紀から8世紀の半ばまでは墓地が密集していた地域で、舞台を設け、演劇学校を開くには不適切な場所であったことがいえる。 したがって、本論文では、以上のようなことに着目し、伎楽の伝来地の桜井を再考証することにした。その結果、奈良県高市郡明日香村豊浦に現存する向原寺あたりを新しく提示したのであるが、その論拠は、次のとおりである。 まず、『桜井町史』の記録である。『桜井町史』は、桜井の地名の由来について3つの説をあげた後、古くから桜井(別名榎葉井)という井戸のあった明日香村大字豊浦の桜井が、桜井という地名の嚆矢であろうと、指摘している。 そして実際、その井戸にまつわる記録が、『続日本紀』、『日本霊異記』、『催馬楽』に伝わるが、それによると、桜井と呼ばれる井戸は、8世紀の初めまで当所に存在していたことが分かる。 一方、『大和志』および『上宮聖徳法王帝説』の記録を分析すると、現在の豊浦の向原寺は、6世紀の半ば、蘇我稲目(?~569)が仏像を安置するため、向原の家を寺にした時からの由緒ある寺院であり、その名前は、オハリタの向原の家⇒桜井寺⇒豊浦寺⇒広厳寺⇒向原寺と変化して、今日に至っている。 この桜井寺が、『桜井町史』のいう桜井の井戸の名前に因んだ寺院であろう。それは、『元興寺伽藍縁起幷びに流記資財帳』、『興福寺大和国雑役免坪』の記録を参考に『大和国条里復原図』で桜井の井戸を探してみると、その位置が、石川池の東から和田池の北の小字「鳥井ノ本」までのかなり狭い地域に限定され、広い意味での豊浦の向原寺の領域にあたることが確かめられるからである。

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