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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
한국일본언어문화학회 일본언어문화 일본언어문화 제21호
발행연도
2012.1
수록면
325 - 340 (16page)

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叙景歌の代表作とされる赤人作歌の九一九(㋐)、九二四(㋑)、九二五(㋒)の三首について、赤人の歌が叙景歌とされることの意味を考えてみたい。この三首、特に㋑については、島木赤彦によって高い評価を受け、以来叙景歌として最高の作と評された。こうした評価は、㋑(㋐、㋒も同様)を特立した作品としてみたことに起因する。しかし、㋐、㋑、㋒の三首は行幸歌の長歌に添えられた反歌であり、長歌を受ける形で讃美の情が詠まれていることはいうまでもなく、現在では、純粋の叙景とはいえないという理解が定着している。そして、叙景歌そのものについては、話者の感情が何らかの形であらわれている抒情詩の一種と見るべきことと了解されている。一方、赤人の歌を叙景歌として捉える従来の理解に対しては、それをアララギ派的な評価とみた上で赤人の歌の読み直しを図る論や、赤人の叙景の意味を問い直す必要性を説く説などが行われている。しかし、赤人の歌が叙景歌として評価されてきた所以、あるいはしっかりした定義のないまま叙景歌と認定された内実についてあらためて論じるべきではないか。集中において、実景(枕詞以外)の鳥を最も多く詠み、鳥の歌い方においても他の万葉歌人に比して特徴的である赤人は、行幸歌にしきりに鳴く鳥を歌うことによって、行幸地を讃美したのである。㋐、㋑、㋒の三首が抒情詩であることは確かであるが、叙景歌の代表作とされたのは、情を託されたその景の中心に鳥がおり、赤人の場合その鳥の表現が 万葉集 の中で独自の位置を占めていたため、叙景歌として受け取られたのではなかろうか。

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