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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
한국일본언어문화학회 일본언어문화 일본언어문화 제20호
발행연도
2011.1
수록면
349 - 366 (18page)

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本稿は現代日本の危機的狀況と明治維新の狀況が類似していることに着目し、現代日本の危機的狀況を脫するためにはどうすればよいのかを考えるためにも明治維新の危機的狀況を生きた透谷の文明論を再度檢討する。著名な透谷硏究者たちが19世紀に書いた透谷の文明論が、現代日本の危機的狀況を豫言していると語っている。事實、透谷の文明論は、あたかも今日の日本の問題のありかを指摘しているかのように現代日本の危機的問題を言い当てている。しかし、事實はその逆であろう。透谷は19世紀という日本が近代化を始めた時期にあまりにも早く日本の將來を見拔いてしまったのである。つまり、鎖國日本は列强の開國要求に対して早急に判斷を下し、自らの力で開國を成しとげ、植民地の危機を脫した。しかしその後、物質的發達のみがあたかも進步であるかのように考えた日本の明治政府と多くの人々は、物質文明だけを文明であるかの如く科學技術の輸入に沒頭した。その結果、物質文明以外の學問である哲學や文學等、精神的學問をないがしろにした。それは日本の進步を止める結果となった。進步が精神的希望とともになされるものだからである。精神文明を失った日本は、その後、戰爭の道をまっしぐらに進むこととなる。當時、人々が國家を超えた世界というものを知り、國民を超えた人類というものを知っていたなら歷史の結果は異なっていたことであろう。現在日本は、もはや物質文明だけでは生きていけない狀況となっている。今こそ日本は、世界に先駆けて國家や民族という槪念を超えて地球を住みかとして生きて行く時である。

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