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田山花袋には大正期に、自然主義期に匹敵するような重大な轉換があった。「人生の危機」から「人生の轉機」までのプロセスである。花袋の『東京の三十年』（大正六年六月博文館）の中には、大正期の自然主義退潮と直接關係する人生上の行き詰まりからきた苦惱と、芸術上の不振からきた絶望を語る『四十の峠』の一節がある。確かに花袋が自然主義運動の反動期に迎えた「人生上の壁」と「創作上の壁」は、「Blank1page」と形容する「空虛」と「徒勞」とを內在化させた。
この「四十の峠」の意義を整理して見ると、次のようになる。先ず、第一に花袋自分の四十歲の年齡が明治末年から大正初年にかかるという偶然と重なり、個人の觀点を超え、さらに複雜な世紀末を演じる文化現象の直中にあったことが擧げられる。第二に、自然主義文學に對する懷疑は、自身の文學姿勢を否定し、四十年代の文學的成果を少なからしめる自虐の態度にまで貶めていた。自然主義文學が果たした役割と評価は今日では不動のものだが、反動期の外壓は作家から自信を奪うほど嚴しかったという、文學史的現實を示していたのである。だから、第三は、「恐しい倦怠と單調と不安」が作家の營爲とどのような關わり方をしていたかが焦点となる。
『一握の藁』は、全く普通の小說の形を爲さずに、花袋の言う、筋のない、雜多紛々の事柄がそのまま人生であるということを如實に示すといった形で書かれている。ただ、花袋の動向と思索を中心にして、轉換期における「危機」感克服のために創作されたのだと思う。花袋の「人生の危機」から「人生の轉機」までのプロセスがよく表れた作品だと言えよう。このような「人生の危機」から、「山や川や石やが依然として同じ形でゐるのも、寂として動かず欠けず崩れずにゐるのも、却つて私に金剛不壞の本体を暗示した」という、大正六年八月の『谷合の碧い空』（『文章世界』）の記述によって、「人生の轉機」を明瞭に意識している。
「人生の轉機」では「自然」を見るにつけ、感傷的な氣分から解放されて、作家として存在する者の不幸が克服された結果を語ったのである。「こんなに骨を折る。何の爲めに？こんなに齷齪する、何の爲めに？」（『山にある友に与ふ』明治四十五年十月「文章世界」）とか、「何の爲めに自分は努力した。何の爲めに自分は生活した」（『一握の藁』大正三年一月「中央公論」）と反芻する危機意識の繰り返しとは無緣である。『脫却の工夫』（大正六年一月「文章世界」）の反現實主義の立場は、自身により實踐した自然主義期の論評を否定することであり、超越的精神を模索する姿勢が顯著となるのである。そして、『脫却の工夫』では、花袋と「仏敎」の關係を自らの結論としていた。
「社會」と「仏敎」との對照にみられる作家の意識は、以降、宗敎小說と、晩年に展開する非合理的な精神主義の端初を示すことによって、東洋的な日本思想を展開したのである。人生上の壁を越えた花袋、つまり「人生の危機」から「人生の轉機」を迎えた花袋の內在的価値は、以降、『時は過ぎ行く』․『ある僧の奇蹟』․『再び草の野に』などの作品を通して、擴大再生産されて行くのである。
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