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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
한국일본언어문화학회 일본언어문화 일본언어문화 제22호
발행연도
2012.1
수록면
517 - 537 (21page)

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この論文は、寺山修司の歌集 田園に死す の映画化を通じて、短歌と映画の間メディア性について探求し、現代文学として短歌の見せ得る新たな地平を探してみようとしたものである。まず、 田園に死す が映画化に成功した理由として、寺山の短歌に俳句的レトリックを借用した特質があったことと、その根底に映画のモンタージュ理論への認識があったことを指摘することができる。形式にとらわれない創作態度は、芸術形式の変換に注目する間メディア性の基本原理と相通じるもので、様々なメディアと疎通できる可能性を示唆していると言える。第二に、短歌が映画の中に引用され、映像メディアに置き換えられる様相を調べた結果、短歌と映像イメージは、それぞれの媒体的特性を維持しながら互いに対話する関係で交わっていることが分かった。短歌の文字テキストは映画の中にスーパーインポーズされることによって、もう一つの映像として視角化されている。また、短歌の内容と映像とがずれるようにモンタージュされたことは主題を重層的に変奏していく効果をもたらしたと思う。最後に、このような映像メディアとのコミュニケーションを通じて期待される効果として、私性の制約を超えた短歌の創作及び受容の可能性を見つけることができた。基本的に叙事性を必要とする映画は、短歌の持つ断片的なモチーフを物語に具体化し、短歌の主体として虚構的人物を創造するのである。即ち、短歌は映画という異質のメディアと出会い、「方法としてのフィクション」という新しい表現を獲得したといえる。 田園に死す の映画化は、現代短歌のメディア活用の重要性を示唆する事例として価値が認められる。

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