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저널정보
단국대학교 일본연구소 日本學硏究 日本學硏究 제23권
발행연도
2008.1
수록면
299 - 319 (21page)

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「近くて遠い國」という決まり文句が氾濫していたように、90年代における日本文化論での「我々」という主語から、やはり日本に對して物理的な距離感より遠い心理的な距離感を强く感じる、その時まで韓國社會は日本が「近くにある『知』らない他者」だったということにたいてい同意していた。本稿はそうような認識のコンテキストが、解放以後の「我々」の中の隱蔽と再生を繰り返された「日本」という「神話」によって作られたことであるという問題提議から出發している。 1940年代前半期の文學史を「暗黑期」だと命名した白鐵の「戰後(韓國戰爭後)」民族主義は、「反共」というフィルターを通過した「選擇的」な歷史を强制する忘却/記憶のパラダイムによって維持されたのである。それは單に白鐵個人だけの問題ではあるまい。雜誌『新天地』がもっとも早く「日本特集」(1947年11・12合倂號)として組んだ企畵の中でもそれを見出すことができる。結局、「朝鮮人が見た日本の態度」に關する文章が欠如されたまま終わったその企畵は、植民地の記憶が深く內面化された朝鮮人にはまだ「日本」という存在を他者化して語りえない時期であったことを暗示している。 植民地時代を生きたある詩人が1961年に告白したように、彼らに「日本語」は、「夢」や「日記」などのような內密な空間でしか使える抑壓の對象であった。それゆえ、韓日國交正常化とともに翻譯・出版された『日本短編文學全集』(1966)は、彼らにとって植民地遺制である自らの日本語を眞なる他者のものとして語りうるきっかけであっただげではなく、これまで抑壓されてきた日本語的な思考=意識の噴出の結果でもあった。 そのように出發した日本語(日本文化)の他者化は、「我々」及び「日本」を本質的に 「神話」化するプロセスの中にあったのである。そういった結果、兩者の關係をダイナミックに見出すことができなくなった。その際、必要なのが國家主義的な想像力に富んだ「我々」に對する括弧を解くことであろう。したがって、本稿では90年代における日本文化論の反省とその歷史的な起源に對して考察することを通して、いまこそ他者に對する本質化という近代企畵の沼に陷った「我々」の姿を相對化しながら探索しているのである。

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