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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
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저널정보
고려대학교 역사연구소 史叢(사총) 史叢(사총) 제78호
발행연도
2013.1
수록면
139 - 168 (30page)

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本稿は豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争の際にポルトガルがいかなる関係にいたかを考察したもので、その要点を整理すれば、次のようになる。第一は、ポルトガル宣教師に対する織田信長の中国征服の意図は、フロイスの󰡔日本史」に記述されているが、これを実際の征服意図として認めることはできないということである。それは実際に中国を征服するということでなく、当時毛利氏をはじめとするその他の勢力を掌握することができなかったので、今後日本を統一するという一種の決議を示した表明であった。第二は、秀吉が朝鮮と中国を征服するためにポルトガル宣教師らに軍船2隻を要請したという問題である。しかしこの問題については、むしろ宣教師が秀吉に援助を提案したという記述があり、その信憑性が疑わしい。ただ秀吉が援助要請をしたにせよ、宣教師が秀吉に援助を提案したにせよ、ここでもっとも重要な問題は、ポルトガルはあくまでも秀吉に対する軍事的な援助を肯定的な立場で考えていたということである。このようなポルトガルの動きは、秀吉が中国を征服した後中国に教会を建設すると宣教師たちに大言壮語していたので、秀吉の中国征服が東アジアでの布教活動にだいぶ有利な局面をもたらすことができるだろうという期待感によるものであった。第三は、ポルトガルが壬辰倭乱の際にいわゆる「海鬼」を明の援軍として参戦させた理由に関する問題である。つまりポルトガルは秀吉の侵略戦争において日本に対する軍事的援助を肯定的に表明する一方、明には「海鬼」のような傭兵を参戦させ日本軍と対敵するなどの矛盾した行動を取っていた。それはまさにポルトガルの海外進出の基本的な目標である貿易と布教の目的を同時に達成するための一種の苦肉の策であったと評価できるだろう。

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