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한국일본사상사학회 日本思想 日本思想 제25호
발행연도
2013.1
수록면
227 - 251 (25page)

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本稿は、江戸時代以降、日本を訪れた西洋人がどのように歌舞伎を見ていたのか、そして歌舞伎作品のなかから、いかなる理由で忠臣蔵に興味を持つようになったのかについて、彼らの日本滞在記の分析を通じて考察したものである。鎖国時代、歌舞伎を観劇することができた西洋人は、ケンペルやツュンベリー、そして、シーボルトらオランダ商館の関係者に限られていた。彼らの記録には、大坂は娯楽の盛んな都市であり、多くの庶民が演劇(歌舞伎)を身近なものとして鑑賞していたことが記されている。彼らは歌舞伎を、庶民が頻繁に見るものであるにもかかわらず、国民の風俗向上にも、心の糧にもならないものであったと、否定的に捉えていた。開港後に日本を訪れた西洋人には、外交官やお雇い外国人、学者、旅行者などがいた。彼らは、歌舞伎について、卑俗で淫らな印象を持ち、道徳的、教育的ではないことを指摘している。また、内容は史実によっていない荒唐無稽な話であり、文学性の低いものとして捉え、役者の演技も誇張された動きとして批判していた。このような西洋人の歌舞伎への視線は、明治時代になり演劇改良へと進んでいく。政府や劇場関係者は、外国人を観客として想定するようになったころから、西洋人の観点を意識するようになっていった。また、開港後に訪れた西洋人の記録には、復讐心についての言及が増える。当時、頻繁に起きていた外国人への襲撃や桜田門外の変などを接したことから、「忠臣蔵」への関心が高まっていったのである。アメリカが、戦前、戦中、戦争相手としての日本人を把握するために、「忠臣蔵」を用いた一面があるが、それは、西洋人が日本人の価値観を理解する材料として、幕末からの流れを引くものと位置づけることができる。

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