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저널정보
한국일본사상사학회 日本思想 日本思想 제23호
발행연도
2012.1
수록면
65 - 91 (27page)

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近世の歌人であり、代表的な小説家だった井原西鶴(1642~1693年)。彼は基本的に多読家的な語り手であり、即興的連想と無意識の表出という「俳諧師的な作法」と、彼の小説が後世に浮世草子と呼ばれるようになる由来となった「事実主義的」な描写方式の主人公だった。このような西鶴が、当時の数多くの文献に頻出している「三国史観」や「小中華意識」あるいは「朝鮮征伐」類の排他的、敵対的異国表象の内容と情報に接しなかった可能性はほとんど無いに近いといえる。それでは、西鶴の他者認識をどのように理解しなければならないだろうか。その答えは先の拙稿で扱った内容の延長線上にあるだろう。西鶴が生存した時期が1592年の壬辰倭乱、侵略戦争以後の国交回復という次元から始まった朝鮮通信使の往来などの時期に近いにもかかわらず、このような時代状況を生きた西鶴の数多くの俳句と浮世草子に「朝鮮」という語彙がただ1例しかないことは、語り手西鶴としては不自然な言語使用だとみることができるだろう。これを別の表現でいえば、他者としての朝鮮に関する無関心、当時主流だった三国史観の横行に対する自制ないしは消極的世界観の表出だとみることもできるだろう。さらに注目すべきことは、西鶴の異国表象の用語中に中国や朝鮮を敵対的あるいは否定的他者として描写する例がないという点である。自身の事実主義的な視角から確認できない事項についての消極的な描写方式といえるだろうし、根拠のない自国美化や他者排除に関して無関心的描写で一貫しているのである。西鶴の一連の浮世草子のうち最初の作品である『好色一代男』が創作されたのは1682年、すなわち第1回の朝鮮通信使が西鶴の本拠地である大坂に到着して華麗なパフォーマンスを見せたまさにその年であり、『日本永代蔵』はそのわずか6年後である1688年に創作された作品である。当時中国や朝鮮を指す他国呼称として「唐」という用語が習慣的・便宜的に使用された例が少なくなかったとはいえ、以後の西鶴の小説や俳諧中の数多くの用例のなかに朝鮮がまったく登場しないことは少なくとも自国美化や他者排除に関する消極的、あるいは無関心的な創作意識の反映であったとみることができるだろう。

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