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자료유형
학술저널
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저널정보
세계문학비교학회 세계문학비교연구 세계문학비교연구 제14호
발행연도
2006.1
수록면
103 - 122 (20page)

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淺川巧の生の歩みと朝鮮認識 張惠貞 淺川巧は、山梨縣の生まれで日帝の占領下の1914年、朝鮮へ渡ってきて、1931年朝鮮の土になるまでずっと朝鮮で生活していた朝鮮の文化藝術に關する硏究家であると言える。巧はいわゆる ‘山林の拔手といふ小役人をしつつ、王侯を恐れず匹夫を卑まず、種を蒔いて朝鮮の禿山を綠化する貴い事業に黙黙と從事する傍、朝鮮の人間と自然と藝術と文化とに親しみ、それを愛し味ひ感ずると共にそれを硏究し認識し理解した’ 人であったといわれる。ここでわれわれは彼の朝鮮觀が察することができるだろう。言わば、彼の朝鮮の認識は旅人が窓の外をただ眺めるというような觀照でもなく、西歐文明の觀點から出てくる後進國への偏見でもなかった。 したがって、巧の朝鮮觀は生活人としての普通の朝鮮人に對する描寫であり、支配の民族として持っているべきな蔑視とか哀れみなどを除き、ありのままの朝鮮人とその朝鮮の民族の美しい藝術美を見つけることによってはじまったことである。だから、それは當時もう一般の常識になっていた否定的な朝鮮觀とは非常に違っている見方であるといえる。結果的には朝鮮人もわかっていなかった自分たちの一部のアイデンティティを確認させられるようになったのにも獨特な意味があるのであろう。つまり、淺川巧の朝鮮觀は、十九世紀初め, 近代の日本人の朝鮮觀としては極めてめずらしい觀點であったといえるだろう。

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