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자료유형
학술저널
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저널정보
세계문학비교학회 세계문학비교연구 세계문학비교연구 제41호
발행연도
2012.1
수록면
117 - 135 (19page)

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小説の神様と呼ばれた志賀直哉と、フェミニズム文学の代表格の宮本百合子は「近くて遠き」関係というふうに形容されてきた。もともと百合子は白樺派の磁場の元で成長した作家であり、ある意味においては、白樺の個人主義の理念を、女性の視座から試みたともいえる。ところで、百合子の代表作『伸子』は、同じく志賀の代表作『暗夜行路』が、『改造』の誌上に連載される間の休止期に、すっぽりはめられたような形で連載されていたのである。つまり二つのテキストは潜在に、ともに意識せざるを得ない関係性に結ばれているのだ。ここで、この両小説において同じように表れている、家制度と拮抗の緊張を醸し出す、結婚のモチーフに注目し、男性の書くということと、女性の書くということを捉え直してみることにした。『暗夜行路』では、父性の抑圧と母性の欠如を中心に結婚が描かれているのだが、『伸子』になると志賀的な母性に甘える「男」の成長ではなく、制度から抜け出たい「人間」としての成長を欲望したというのがわかる。結婚そのものが、新しく「家」を作る行為にほかならなく、そこから結婚の制度を認める『暗夜行路』の姿勢と、妻として母として位置づけされるような制度から解き放たれたい『伸子』のヒロインとは、対照されるのである。同じモチーフを用いても書く行為にアポリアとして潜在する「性」の対照を読む好例ではなかろうか。

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