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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
한국일본근대학회 일본근대학연구 일본근대학연구 제45호
발행연도
2014.1
수록면
315 - 334 (20page)

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本論では、西洋における「コギト」の思想、理性中心主義を批判したメルロ=ポンティの後期思想と、そこに類似性が見られる日本における「経験」、ここでは主に、西田幾多郎の「純粋経験」に代表される思想概観との比較検討をすることにより、日本における「経験」/実践の一つの傾向を抽象することを目的としている。メルロ=ポンティの身体論が、意識を前提とせず、身体からのそれを主張したのは、デカルト批判がその出発点になっており、後期の「肉」の思想へとつながっていく。後期思想において、コギトを基礎としないその背後に存在する身体の両義性に焦点化し、それによって人間存在を説明したところに、彼の独自性が見られ、それまで超えられなかった伝統的課題をある意味で超克したとも言える。ただ、彼の問題関心は、コギトに対するアンチテーゼとしての身体であり、それは批判、超克したとしても、西洋性の土俵内での議論に留まっている。また、身体論、肉論によって、前提とされる主体を批判したように見えるが、結局は身体にはあくまで主体であり、身体、肉、あるいはくぼみが世界に前提されている。一方、西田も、近代における西洋思想との対峙において、同様にデカルト的な心身二元論、あるいは前提化されたコギトの思想を批判するために、初期は主観、客観に分かれる未然の状態を「純粋経験」と呼び、すでに客観とは分離された主観からの出発点を批判している。そうした純粋経験という概念を拡大し、自らの映し出す場所など、主観以外の方向に、説明原理を求めていく。後期思想においては、「行為的直観」、「絶対矛盾的自己同一」などの概念を生み出し、たとえば影響を受けたとされるヘーゲルの弁証法―それは矛盾とその矛盾との止揚、統合によって、歴史的展開が見られるという思想―とは全く異なり、西田の矛盾は、それが止揚されなければならない、あるいは解決、統合されなければならない矛盾ではない。矛盾をそのまま統一されるというプロセスとして見るヘーゲルの主張とは異なり、禅宗に見られる鈴木大拙のいう「即非の論理」に類似した思想であると考えられる。そこにはメルロ=ポンティが前提とする主体概念は見つけることができない。また、両者とも、根源的経験を説明原理として考えを進めていくが、その方法そのものについての違いが存在する。メルロ=ポンティにとっては「反省」がその方法となっている。翻って西田の場合は、一切は「絶対無」において存在するのであり、それはどのようにそれが可能かという概念的方法があるのではなく、自覚する実践的方法のみが存在するのである。すなわち、「絶対無」は、存在の、あるいは根源的実在の説明ではなく、「行為的直観」という実践的方法によって、自覚に達するというような性格として説明されている。

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