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논문 기본 정보

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학술저널
저자정보
저널정보
중국사학회 중국사연구 중국사연구 제100호
발행연도
2016.1
수록면
291 - 310 (20page)

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このように本稿では, 1903年に訪日した載振ㆍ那桐ㆍブレドンらの清国訪問団による金融制度の創設に関する質問, 及びそれに対する大蔵省側の対応について考察を行ってきた. 以上の分析からわかるように, 訪問団が金融制度の調査に力を入れたという一般論はもちろん, 調査内容の具体化までもはっきりされていた. 清国の質問した側は二通りあるのが判明され, 中国における金融制度の改正について, それぞれの関心をもとに発問している. その一は, 戸部側(瑞豊ㆍ張允言)が国内の新制度立ち上げに念を入れ, 意識的に日本経験を求めながら質問の捻出を試み, 主に中央銀行の設置, 兌換券の発行や整理, 公債の募集という点から明らかに見られる. その二は, 海関側(ブレドン)の関心に将来の新制度と清国以外の既存制度とのつながりを強めるという側面が見られる. 例えば, 本位貨幣の量目に関して, 戸部側は庫平両を前提に話しを進めてみようとしているが, 海関側に対し, 質問された側の回答からみれば, アメリカㆍ日本の量目を考慮しながら規定すべきだと推薦されている. では, こうした二通りの関心の原点はどこにあったのか. おそらく, 戸部側のほうは, 同時期の日本を模範にしようとした「新政」において国づくりの一端として考えられているではなかろう. 結果の一つとして, 翌年の1904年には, 訪問団のメンバーであった張允言が戸部銀行(北京)ㆍ造幣局(天津)の設立準備を主導し, さらに1905年に開業された中央銀行たる戸部銀行(後, 大清銀行と改称)の初任総監督を担当するようになったのである. この一連の件において, 清朝政府が日本での調査結果(中央銀行に関して)を活用した可能性は否定できないであろう. ただし, それらの関連性については, 更なる実証が必要である. その一方, 海関側のほうは, 清国における対外貿易の更なる拡大に狙い, 当該期の金本位制の下での貿易体制において円滑に展開するための新たな金融制度を作り出す可能性が見出されたことが窺えよう. よって, 本稿で取り上げた1903年清国の訪問団の言動であろうと, 冒頭に触れたジェンクス博士による幣制改革の意見であろうと, 実際は中国が近代国家の建設を模索しながら金本位制のグロバール化という潮流に乗ようとする試みとして見なされてもよい. こうして, 近代中国金融制度の再編成については世界史の流れに置かれて検討すべきではないかと, この件に関する分析を通して再度確信された. そこで, 海関側の言動の重要性にかんがみて, 筆者は1903年のこの訪問に「ブレドン」を加え, 「載振ㆍ那桐ㆍブレドンらの日本訪問」と名づけることを提案する.

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