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중국사학회 중국사연구 중국사연구 제80호
발행연도
2012.1
수록면
169 - 201 (33page)

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アヘン戦争以後の中国近代史の一つの課題として、いかに西洋科学を受容するかをめぐる問題がある。確かに洋務運動いらい、科学は、中国の生存のための強力な武器として受け入れられた。いわゆる「科学救国論」の流行である。だが細かく見れば、その時代ごとに、「科学」という概念のもつ含意は、幾度も変化してきたことも事実である。具体的に言えば、中国における科学の地位は、洋器を製造する「器用」の次元より、科学の制度化を経て、民国初に至れば、西洋文化の最も核心的な要素として重んじられるようになったのである。1923年の「科学と人生観」論戦は、いわゆる「科学救国論」に対する深刻な文明史的挑戦であったことで名高い。だが、この論戦が重要なのは、むしろその背後に重大な歴史的断絶が潜んでいたからである。したがって、論戦で展開された様々な哲学的ないし思想的課題の多くは、それ自体としては歴史的意義を持ち得る問題ではなかったのである。本稿の目的は、「科学と人生観」論戦の分析を通じて、その背景に存在する、二つの相異なる科学観、つまり「中体西用」的科学観と、思想文化としての「啓蒙」科学観の対立を浮き彫りにし、それを道徳を以て科学を制御する科学観より、知識を以て道徳を統制しようとする科学観への転回として位置づけることにある。さて、「科学と人生観」論戦に対する歴史的評価は、管見の限りでは、論戦の結果、中国に科学なき科学主義が軽薄に流行ったとする否定的なものがほとんどである。しかし、本稿では、いわゆる科学主義という概念は、かかる論戦の歴史的意義の解明にあまり有効ではないと考える。また、この論戦には、両方とも「中国には科学がない」といった、いわゆる「中国無科学説」が背景に存在する。現在の中国科学史の研究成果から見てもしかり、清代の「西学中源説」の流行から見ても驚くべきイロニーである。清末から民国初にかけて行われた、このような知的変奏を追跡するのは実に興味深い。両側の科学観の分析を通じて、かかる知的変奏がいかなる歴史的脈絡で起きたかを明らかにするのも本稿の目的の一つである。

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