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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
이영 (방송통신대학교)
저널정보
중앙대학교 일본연구소 일본연구 일본연구 제31집
발행연도
2011.8
수록면
385 - 421 (37page)

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倭寇の戦術をゲリラと比較考察した結果, 倭寇はゲリラの基本要件を備えていたし,また両者の戦闘行動は①襲擊 ②伏擊 ③破壞工作 ④テロ ⑤ 退却 ⑥潛伏等の面でほぼ一致することが確認された.
朝鮮の世宗元年(1419)に行われた対馬征伐(応永の外寇)を契機として始まった対馬に対する領有権の主張はその歴史的根拠が乏しい. それはただ対馬征伐を正当化する目的で打ち出したものであった.
高麗王朝は勿論世宗代にも朝鮮側は, 対馬は日本の領土であると認識していた. どころが対馬征伐の後, 朝鮮は対馬に対して‘空島化’を要求する. 対馬はこれに応じなく, 代りに‘屬州化’を提案する. それに答えて朝鮮の朝廷は島主に印信を下賜した. これによって朝鮮は対馬が朝鮮領土の一部になったと主張出来る根拠を確保した. しかし‘屬州化の提案’は対馬側の臨機應變的な措置であり本音ではなかった. その点は朝鮮側も知り尽くしていた.
対馬は地理的かつ地政学的に‘倭寇の聖域’の機能を果たしていた. ここで"聖域"とは安全な避難処を意味する. 朝鮮側は対馬が倭寇の本拠地であるのを分かっても日本の領土なので勝手に侵攻できなかった. 朝鮮側が‘屬州化’の虛構性を知りつつ以降も対馬に対する領有権を主張し続けたのは, 対馬が再び倭寇を行うことが有れば何時でも軍事行動を起こすという強い決意の表現であった. それは言換えれば倭寇の聖域を認めないという意味でもあったのである.

목차

Ⅰ. 서론
Ⅱ. 영유권 관련 선행 연구의 검토
Ⅲ. 게릴라와 왜구의 전술 · 전략 비교
Ⅳ. 왜구의 성역과 영유권 주장의 목적
Ⅴ. 결론
參考文獻
要旨

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