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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
崔長根 (대구대학교)
저널정보
한국일본문화학회 일본문화학보 日本文化學報 第 51輯
발행연도
2011.11
수록면
407 - 426 (20page)

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本?究は19世紀後半韓國政府が日本の鬱陵島および獨島への侵入を備えて開拓を行ったが、戰後日本は獨島の領有權を確保するために獨島の管理は全くなく鬱陵島においては韓國領土としての管理が消極的であったとして獨島の領土的權原を造作している。本?究は川上健三と田村?三?を中心として分析したものである。その理由はこの二人が戰後竹島が日本の領土であるという論理を造作した者だからである。?究構成についてはまず、近代朝鮮が行った鬱陵島·獨島の再開拓の實體について考察した。第2に、近代朝鮮が行った鬱陵島の再開拓の事實を歪曲してむしろ日本領土としての權原のみ存在するとした造作行爲を究明した。第3に、大韓帝國が日本の領土侵略から國土を守るため行った獨島の開拓および行政措置に?する日本の造作行爲を究明した。本?究の結果として、近代になって鬱陵島を開拓した島民は鬱陵島から見える獨島を生活場として活用していた。つまり鬱陵島韓民が獨島まで往?したということである。それで島の形象から獨島という名が生まれた。獨島というのは石でできた島という意味である。大韓帝國はこのような認識で勅令41號をもって鬱陵島、竹島とともに「石島」を領土の一部として行政措置をとったのである。前近代においても朝鮮朝廷は鬱陵島を空島政策をもって空にしていたが、東海に于山島と鬱陵島となる2つの島が領土として存在するという領土認識をもっていたのである。このような認識は近代になって日本の侵略に備えて鬱陵島はもちろん今の獨島に?しても領土認識をもって行政措置をとっていたのである。にもかかわらず、川上健三と田村?三?をはじめとする日本側は?後から現在まで獨島に?して領有權を主張するために上述したような韓國の鬱陵島における實?的管理を否定して竹島が日本の領土であるという論理を造作した。川上は鬱陵島について?時の朝鮮は空島政策をもって島を?棄したのを日本が管理していたが、幕府の外交政策の失敗で韓國に奪われたと論理を造作した。獨島については日本人が先に1903年から國島で海驢漁をおこなった。韓國人は日本人に??力として雇われてからはじめて國島を知ることができたとし、日本が韓國より先に?島を實?的に管理したという論理を造作した。田村は?島のみを扱っているが、その認識は川上の論理と同じく竹島の日本領土論を造作した。

목차

1. 들어가면서
2. 근대조선의 울릉도·독도 재개척의 실체
3. 근대조선의 울릉도 재개척에 대한 일본의 조작행위
4. 대한제국의 독도개척사에 대한 일본의 조작행위
5. 맺으면서
【參考文獻】
要旨

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