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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
全成燁 (인제대학교)
저널정보
대한일어일문학회 일어일문학 日語日文學 第53輯
발행연도
2012.2
수록면
99 - 114 (16page)

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本稿では日本語の「はずだ」と「はずがない」形式の諸相を、文の事態內容に對する話し手の認識的捉え方はどうかという觀點から考察した。その結果、先行硏究では當然こうなるという「當然視」の意味、あるいは「確信」を中心的意味とされている「はずだ」形式は、事態內容に對する話し手の捉え方が不確かで話し手情報度が高い場合、確信を避けて當然視できるのは事態不成立への餘地を殘したいという話し手の心理が動いて「はずだ」が用いられていること、話し手情報度が低く、思い?みで事態內容を捉えている場合、その分「餘地」のほうが多くなるということを述べた。また、事態內容が確定の場合は、餘地がわずかであるという用法のものや餘地を殘すということの必要性がなくなる用法のものが存在することが分かった。そして「はずがない」形式には、從來の「可能性がない」という意味に加えて、事態內容への捉え方により「ほかに理由がない」や「信じたい」、そして「可能性がある+餘地を殘す」などの用法のものの存在が認められた。

목차

〈要旨〉
1. はじめに
2. 先行硏究
3. 事態內容に對する話し手の認識的判斷と「はずだ」
4. まとめ
參考文獻

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