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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
이영 (방송통신대학교)
저널정보
동아시아일본학회 일본문화연구 日本文化硏究 第38輯
발행연도
2011.4
수록면
473 - 503 (31page)

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現在, 日本の中世史及び?外?係史?界では倭寇の??が〈三島の海民〉であったとする?が支配的である. 三島とは?馬, ?岐, 松浦地域を指すという. 韓?の?史?界もこれを無批判的に受容している. しかしこのいわゆる〈高麗末、朝鮮初期の倭?=三島(?馬ㆍ?岐ㆍ松浦)海民?〉は『朝鮮王朝實錄』等の文?史料に?する誤?に基づいている.
〈三島〉という表現を最初に使ったのは定宗元年(1399)に日本へ使者として派遣された朴敦志であった. 彼は倭寇の根?地が?馬や?岐だけでなく,もう一つあったことを日本へ?てから悟ったのである. それは九州であった. それから朴敦志の?日?時, 大?義弘が?って勝った相手を『朝鮮王朝實錄』では‘九州’と記?している. ?って朴敦志が‘三島’としたのは‘三つの島’を意味するものではなかった. なのに彼が?馬や?岐に九州本土を加えて ‘三島’という表現を使ったのは高麗(朝鮮)?時社?の, 海島や海島民に?す?統的かつ一般的認識と深い?連があった. 高麗(朝鮮)時代の人?にとって海島は重罪人の配流地であり, そこで生活する人(海島人)は普通は‘罪人の子孫’なので賤民扱いされていたのである.
大?義弘が軍事攻?を加えた相手, すなわち九州を‘三島’としたのも高麗(朝鮮)社?の‘海島’に?する一般的な通念, すなわち‘國家に叛逆した重罪人達が居住する場所’という側面を?調したのであった. ?時の〈三島〉は具?的には少?氏?菊池氏?松浦?等の, 九州探題?川氏を?いだ大?氏や大友氏らに?抗していた九州の土着勢力であった. 三島は決して田中健夫や中村英孝の主張通り, ?馬??岐?松浦を指すものではなく, “室町幕府の統治や支配から離れそれに?立していた九州地域の土着豪族勢力でありまた倭寇となって(朝鮮半島へ)侵寇してくる危?のある地域”を意味する用語であったことが明らかになったのである. ?って〈三島の海民?〉に基づいて成立している日本の中世史及び?外?係史の理解や認識は今後すべて改めなければならない.

목차

서론
제1장 파이렛트(Pirates)와 코르세어(Corsails)
제2장 〈삼도의 해민〉설의 문제점
제3장 삼도(三島)의 용례(用例)
제4장 삼도(三島)의 정의(定意)
결론
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