메뉴 건너뛰기
.. 내서재 .. 알림
소속 기관/학교 인증
인증하면 논문, 학술자료 등을  무료로 열람할 수 있어요.
한국대학교, 누리자동차, 시립도서관 등 나의 기관을 확인해보세요
(국내 대학 90% 이상 구독 중)
로그인 회원가입 고객센터 ENG
주제분류

추천
검색
질문

논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
권오엽 (충남대학교)
저널정보
한국일본문화학회 일본문화학보 日本文化學報 第 46輯
발행연도
2010.8
수록면
11 - 45 (35page)

이용수

표지
📌
연구주제
📖
연구배경
🔬
연구방법
🏆
연구결과
AI에게 요청하기
추천
검색
질문

초록· 키워드

오류제보하기
朴於屯は安龍福と共に日本に拉致されて送還されたにもかかわらず、全ての記?は安龍福が中心となっており朴於屯に?する記?は少ない。ところで最近、朴於屯の?籍が?見され、その身分の一部が明らかになった。彼は1661年に良人朴己の子として生まれ、奴婢千時今と結婚した。彼が兵??干の良海尺であったことを勘案すると、水軍の櫓軍であった安龍福のように水軍の??を持ち、それを生かして鬱陵島へ渡海して拉致され、1696年にも再度渡海したと思われる。
朴於屯に?する記?は朝鮮よりは日本に多い。彼が供述したという?容と「?牌」の??などである。1690年に蔚山で?行したという「?牌」は?籍の?容と同じで、?良 目島里に居住する30?の人物で1661年生まれであった。1690年に30?であることから1693年には33?であったはずだが『竹島考』での供述では34?になっている。計算方法の差であろう。
朴於屯は拉致された1693年には安龍福と同行したが、訴訟の目的で渡海した1696年の一行には含まれていなかった。鬱陵島まで渡海していながら、5人の僧侶を含む一行に入っていないということは、?時の朝鮮人が多?な形で渡海していたことを意味する。また朴於屯の意思であるか、そうでなければ除外された結果であろう。
朴於屯と安龍福は船頭と下人の?係と?明されることもあるが、 朴於屯が安龍福に守護されていたことは事?である。小屋番として勤めていた朴於屯が拉致される危機に見舞われた時、それを阻止しようとした安龍福も共に拉致されたことからそれが分かる。
その朴於屯が鳥取行きの一行に含まれていないのは安龍福が除外した可能性と、朴於屯が?加を?った可能性が考えられる。前者ならばそれなりのわけがあったであろう。拉致された彼が日本の審問に反論する安龍福の主張に同調することより、日本の期待に沿って振舞ったり陳述するなどして日本に正統性を?えていたならば、除外された可能性もある。また彼が目島里に移住する前に居住した大垈里が山村であって、海尺になったとしても海の仕事に慣れていないので除外した可能性もある。彼が鬱陵島で小屋番として勤めていたのもその故だったかも知れない。つまり漁?に向いていないので小屋で勤めながら後始末などをしたのであろう。
尤も「?干」であった彼は漁獲物に?し?漬け作業などをするために渡海の一行に?加していたかも知れない。朴於屯が水軍の??者で、?岐住民と親しい?係であったことを想起するなら、?のみを目的にした渡海ではなかった可能性もある。安龍福一行が鬱陵島に約2か月も逗留してから鳥取に赴いたが、その間の行跡が不明である。僧侶を含む一行が何をしながら過ごしていたかも疑問として?る。朴於屯の場合は「?干」の役割を果たしていたのであろう。このような点から東海を?点にする?際的な海上流通業の存在を想定し得る。

목차

1. 기록의 박어둔
2. 朝鮮記錄의 박어둔
3. 日本記錄의 朴於屯
4. 結論
【參考文獻】
要旨

참고문헌 (21)

참고문헌 신청

함께 읽어보면 좋을 논문

논문 유사도에 따라 DBpia 가 추천하는 논문입니다. 함께 보면 좋을 연관 논문을 확인해보세요!

이 논문의 저자 정보

이 논문과 함께 이용한 논문

최근 본 자료

전체보기

댓글(0)

0

UCI(KEPA) : I410-ECN-0101-2010-913-002812750