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우리문학회 우리문학연구 우리문학연구 제17집
발행연도
2004.12
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237 - 275 (39page)

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大岡昇平の戰爭體驗から生まれた『부虜記』『野火』『レイテ戰記』は彼の代表作であり、日本の戰爭小說の最高傑作でもある。
『부虜記』は、作者が太平洋戰爭末期の1944年7月、フィリピンのミンドロ島に派遣されて暗號手として勤務し、翌年1月25日、米軍の捕虜となって約10カ月間の收容所生活をした경驗をもとに、自分の戰爭體驗の意味を確認しようとする意圖で客觀的·內省的に書いた作品である。捕まえられるまでの경緯を語った第1章では、戰場の極限狀況に直面した「私」の生存本能と死の希求という相反する感情や경驗の分析を通して自分の存在を認識していく過程を描き、收容所での生活を語った第2章から第12章までは、捕虜集團の構成員の一人として他の捕虜たちを觀察しながら、彼らの姿を通して自分の存在を省みる「私」の記錄となっている。つまり『부虜記』は「私が何者であったか」を確認するための分析と觀察の記錄であり、記錄を通しての「私」の徹底した「自己探究」の結果である。
『부虜記』が記錄文學に近い性格のものだとすれば、『野火』は多分に虛構的な要素が加味された作品である。日本の敗色が濃厚な太平洋戰爭末期のフィリピン·レイテ島·西部戰線を舞台とするこの作品は、肺結核にかかって役に立たないという理由で所屬中隊から追い出され、食糧がないため野戰病院への入院さえ拒まれた一人の兵士が、死を予感しながら飢えと孤獨と恐怖のなかで山野をさ迷うという設定と、食人という虛構を中心として、生存のぎりぎりの限界狀況にまで追い詰められた一生命の行態と意識の動向を綿密に追跡して、分析的に描いた作品である。
『レイテ戰記』は、戰爭末期の大合戰があったレイテ島での日米兩軍の死鬪を、膨大な資料を使いこなして詳細に再現した、太平洋戰爭戰記文學の記念碑的な大作である。
『부虜記』が個人と集團の關係に焦点を合わせた作品だとすれば、『野火』は個人に焦点を合わせた作品であり、『レイテ戰記』は小說というより實錄に近い性格のものである。そして特に『부虜記』や『野火』は、戰爭を素材とした作品でありながら、それまでの戰爭文學とは違って、超國家主義の掛け聲の下に埋められていた個人の存在に注目したという点で重要な意味を持つと言えよう。
本稿では、この兩作品を中心として次のような事項について考察してみた。
◎ 『부虜記』- 戰爭體驗の記錄と分析を通しての自己認識
「一介の無力な市民」と「一國の暴力を行使する組織」とを對等に置く考え方
國家的暴力組織である軍部によって蹂린された個人の運命
戰爭は暴力的な集團意識の結果としての殺人行爲
消滅されていく者の、生に對する諦念と憧憬
自殺の誘惑と生命維持の本能、そして完全な諦念の後に來る平穩
殺人を制止する「神の聲」
生きて捕まった羞恥と、生の目的を失った者たちの墮落
◎ 『野火』- 生存の最後の限界狀況に追い詰められた一生命の行態と意識の動向
戰爭の消耗品に過ぎない兵士、
消滅されていく者の眼に映った存在の驚異と有難さ、
生存の崖にまで追い詰められた人間の「繼續本能」
生存の崖にまで追い詰められた人間が求めるようになる神
人肉も食用にすることが出來るということを了させた極度の飢えと、禁じられた肉をめぐっての罪意識
死の予感と混迷な絶對孤獨のなかに訪れた「誰かに見られている」という感じ
「見ている者」卽ち「神」を意識する「私」の分裂された兩手と右半身と左半身
「私」の戰爭に對する「神の怒り」と、殺人を制止する「神の聲」
「もし、彼がキリストの」身であるならば…」という가定形が內包する意味
要するに、大岡昇平の戰爭體驗小說は、戰爭による人間社會の異常性と、無氣力に蹂린される個人の運命、生存の最後の限界狀況に追い詰められた人間が求めるようになる神などの問題を提起しながら、戰爭は暴力的な集團意識の結果としての無差別殺人行爲に過ぎず、戰爭を起こした國家的「大義」卽ち組織の論理は個人の幸福とは一致しないといことを見せている。
個人の意志とは無關係に戰爭は兵士たちが犯罪者になることを强いる。自分が死なないためには先に相手を射たなければならないし、指揮者の命令に從って願わない殺人をしなければならない。戰爭は兵士たちに人間の尊嚴性と生命の價値を否定し人間性を捨てることを要求し、與えられた狀況に適應するため戰場の人間たちは墮落して行く。「私」が「神の聲」を聞いたということは、その墮落の泥沼に塡まって行こうとする瞬間、殺人を犯したり人肉を食べたりすることに對する罪惡感や無意識的な恐怖などによる幻聽だったのかも知れない。
『부虜記』と『野火』は、戰爭を경驗しない世代に、或は戰爭という單語を思い浮かべると壯大な戰鬪の光景ばかり連想する「無知派」たちに、戰爭の異常性とそれが一個人の體と精神を如何に變えて置けるかを考えさせる作品ではなかろうかと思われる。

목차

Ⅰ. 전시체제하의 국가에 의한 문학통제-억압된 표현의 자유

Ⅱ. 패전의 상처와 혼돈 속에 회복된 표현의 자유-허무주의와 자학적 퇴폐주의를 딛고 자아의 재건과 삶에의 근원적인 물음으로

Ⅲ. 전후문학의 한 장르를 형성한 원폭문학

Ⅳ. 戰後文學의 旗手 오오카 쇼헤이

Ⅴ. 『포로기』-전쟁체험의 기록과 분석을 통한 自己認識

Ⅵ. 『들불』-생존의 마지막 限界狀況에 내몰린 한 생명의 行態와 意識의 動向

Ⅶ. 오오카 쇼헤이의 전쟁체험 소설이 전하고자 하는 메시지

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