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논문 기본 정보

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저널정보
동아시아일본학회 일본문화연구 일본문화연구 제6집
발행연도
2002.5
수록면
289 - 307 (19page)

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この硏究は、日本岡山縣の近代における朝鮮海漁業關係について、出漁(通漁)と移住漁業を中心として、その推進經緯を明らかにし、出漁と移住漁業のための主要政策、移住漁村形成の背景と漁村形成の成功要因などを把握すると共に、その歷史的意味を吟味することを目 的とするものである岡山顯は明治20年代以降、朝鮮海への出漁と移住漁業を最も盛んに行なった-の一つで あったが、その問題についての硏究はあまり目にあたらない。岡山縣における朝除草海への出漁は、日生町の漁民がもっとも活?に行なったようであり、その背景には日生町の漁民がんでいた漁業の種類と漁場の條件問題によるものと判斷される。おもに、をはじめとする 凹務魚を中心とする漁業を營んでいた日生町の漁民にとって、日生町の沖の漁場は隆であ って、近隣地域の漁民との問で摩擦が頻繁で激かったことがあげられよう。そして、日生と日比を中心に始められた朝鮮海への通漁は、中央政府や地方行政府の支援と保護の下で、全體範圍にひろがったのであり、このような通漁過程において漁業の根地になった所から先に自助的な移住漁村が形成されたのである。その代表的なものが絶影島,方魚律羅老島 , 浦項 , 麗水などの漁村であった。そして、このような出漁と移住過程は、
漁民の個人の意思如何にかかわらず、日本の帝國的な植民地支配過程とふかくわってい たことを注意深く認識する必要があるであろう。が主導して形成した、いわゆる補助移住漁村は、統營の岡山村が模範的な移住漁村とい われるほど成功をおさめているが、海南於蘭鎭の吉備村はそうはいかなかったのである。岡山村の成功要因としては色色考えられるが、ほとんど同じ條件で建設された吉備村と考えあわせてみれば、特に管理者であった波田兼曇の指導力と漁村經營能力が重要な役割をはたし たと考えられる。半官半民團體の大日本水産會が設立した水産傳習所の第3回卒業生として、理論にもとつく務型水産人材として育成された彼の能力におうところが大きかったであろう。岡山村へ伊里村の漁民が主導的に移住したといわれるが、それは伊里村と岡山村の漁場條件の類似性と漁獲する魚種がおもに穴子や鰻類であったからであろう。これらの魚類は、鮮魚運搬技術の發展以前においても、日本への運搬が相對的に容易であったはずである。

목차

Ⅰ.머리말

Ⅱ.조선해 출어

Ⅲ.조선이주어촌의 형성

Ⅳ.맺는말



참고문헌

日本語要旨

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